世界最強アームレスラー・ 竹中絢音の強さのルーツとは?「休み時間にはいつも腕相撲」「部活の時間はずっと鉄棒で懸垂」
初めて「世界」を体感したのは16歳の時
――アームレスリングの基本を習得するまでには、一般的にどのぐらいの期間がかかるんですか? 竹中:1年ぐらいで基本の型は覚えられます。あとは攻め方や、関節の使い方が人によって違うので、特徴に合わせて強化していくイメージです。ただ、「こういう戦い方が強い」とされていたのが、「こっちのほうが強いんじゃないか」というふうにセオリーが変わったり、ルールも少しずつ変わったりするので、対応力も大事ですね。 ――中学3年生の時に全日本アームレスリング大会で優勝、高校1年生の時には3階級で優勝して、世界アームレスリング選手権大会のジュニアでも2連覇と、10代からさまざまなタイトルをとっていますが、自分の中で、タイトルへの思いが変化したタイミングはあったのですか? 竹中:11歳の時に愛知県大会に出て3位になったのですが、それぐらいの時には「世界をとる」と言っていたと思います。もともと練習相手は男子選手が多くて、出るのは女子の大会だったので、あまり急激に強くなったという感覚はあまりないんです。ただ、16歳の時に初めて世界大会に出て海外の選手と対戦する機会があったので、「世界のレベルはこんな風に高いのか」と肌で感じて、そこから逆算して「自分はどれくらいで世界一にたどり着けるのか」ということを具体的に考えられるようになりました。 ――それから8年目で、昨年、世界一の目標を達成したんですね。高校時代は他のことをやろうと思ったり、「競技をやめたい」と悩んだりしたことはなかったんですか? 竹中:それはなかったですね。小さい頃からアームレスリングが生活の軸だったので、それ以外の選択肢は考えたことがないんです。プロとしてやっていく環境がないことはわかっていましたし、「競技だけをやって食べていくことは難しい」とわかった上で続けてきたので、そういう悩みや迷いはなかったです。
中学生時代は陸上部。「隠れて勉強と練習をしていた」
――学生時代は、学校の机の脚にチューブをつけて練習していたそうですね。妥協のなさを物語っていますが、日本チャンピオンがクラスにいたら人気者になりそうですよね。 竹中:意外と普通の学生でしたよ(笑)。でも、小学生の頃から休み時間にはいつも腕相撲をやっていて、周りの友達からもそう認識されていました。中学校は、みんな小学校から同じように上がってきていたので、同じように休み時間は腕相撲ばかりやっていました。 ――部活はやっていなかったんですか? 竹中:中学生の時は陸上部でした。お母さんも陸上部でしたし、同じ中学で2つ年上のお姉ちゃんが陸上部にいたので、一緒に入ろうと。でも、部活の時間は、ずっと鉄棒で懸垂をしていました。アームレスリングのトレーニングになると思って砲丸投げもやっていましたね。 ――すべてアームレスリングでの成長につながるように徹底していたんですね。勉強では好きな科目などはあったのですか? 竹中:答えが一つしかないものが好きなので、数学や漢字は好きでした。数学は公式があって、必ず一つの答えに導かれるじゃないですか。逆に、国語で心情を読み取ったりするのはすごく苦手でしたね。 ――すぐに決着がつくアームレスリングに通じるところがありそうですね。お父さんからは「勉強もしっかりやりなさい」と言われていたんですか? 竹中:それが、勉強をしてると父が怒るんですよ。「子どもの頃は遊べ」ということだったと思うんですけどね。勉強していると「もっと遊べ」って言われて、トレーニングも頑張ると「やりすぎ」って言われて。「トレーニングも勉強もせんかったら私、何すればいいんよ」みたいな感じで、どうしたらいいかわからずに過ごしていた時期もありました。結局、隠れて勉強と練習をしていましたけど(笑)。