母親が原作、娘が脚本・監督。映画『とりつくしま』制作裏話を東直子さん・かほりさんが語る!
気負わない関係だからこそ、アイディアがふくらんだ
――逆に、まったく感覚が違って驚いたことはありますか? 直子さん:夫を見守る亡くなった妻の物語の中で、新しい女性が現れるシーンですね。私は割と「地味だった妻と派手な女性」というわかりやすい感じで書いていたんですけど……、映画では、新しい女性が深夜にこっそりと、ペヤングをもりもり食べていた(笑)。私の小説の登場人物にペヤングのイメージがなかったので驚きました。「食べないと思うけどなぁ…」と思いながらも「やりたいんだろうなぁ」と感じてOKを出しましたね。 かほりさん:そう、やりたかったんです。個性のある人物像にして、ふくらみを持たせたかったんですよね。母からのNGは、「このセリフは削らないでほしい」という点が多かったと思います。映画にするうえでかなり削っていたので、いくつか復活させてと言われたセリフがありますね。 直子さん:意見が違う部分について、気負わずにやりとりを密にできる関係だからこそ、ふくらんだ部分も多いと思います。
もし自分が何かにとりつくなら、壊れてしまうものがいい
直子さんのご自宅には、かわいい雑貨がそこかしこに。中には直子さん手作りのものもあり、映画に登場したトリケラトプスのマグカップも、実は直子さんが作ったもの。 ――もしお二人が死後の世界で「モノにとりついて生前の場所に戻っていいよ」と言われたら、何にとりつきますか? 直子さん:この作品を書いていたころは「映画館の座席もいいな」なんて思っていましたが、今はこの映画のデータになりたいな、と考えていますね。未来の観客の表情を観てみたいな、と。 かほりさん:私は……難しいですね。そうなってしまうタイミングによるかなと思います。 この作品を撮る前は、祖母の水泳ゴーグルになりたいと思っていました。私は泳げないので泳げる人の視点で観てみたいし、おばあちゃんたちの会話も好きだし、ちょうどいいタイミングで壊れていなくなれそうだし。 今だとなんだろうな、母の家にある雑貨とかでしょうか。 ――壊れないものではなく、ちょうどいいタイミングで壊れてしまうものがいいんですね。 かほりさん:寿命があまり長すぎないモノにとりついて、自分の予期せぬタイミングで壊れてしまうほうが潔くていいなと。 例えば、映画の最初のエピソードに出てくる、夫を見守る妻。夫に新しい相手ができるところまで見ているのですが、やっぱりつらいじゃないですか。とりつく期間が長ければ長いほどつらいものを見てしまうから、いきなり壊れて去れるモノがいい気がします。 直子さん:私も「長く残らないもののほうがいいな」という感覚で小説を書いていたんです。小説の序盤に、そういうセリフもあります。物語はユーモラスに表現しているんですが、書き進めているうちに私自身はどんどんつらくなってしまって……。 ただ、映画になった作品を観たときに「つらいだけじゃないんだな」と感じました。テキストだった世界が、家や公園のようなすごく現実味のある世界になっていて、リアルなものとして感じられた。おしゃべりすることはできないけれど、魂が響き合っているような温かみがあったんです。 モノにとりつくことで、生きている方と亡くなった方が、ちょっとずつ癒やされているような感覚もありました。自分が書いた小説ではありますが、これは映像化されて始めて気づいたことです。