輪島市で被災、車中泊しながら1600人分の食事を届けたシェフが望む「被災地の食と必要なこと」
2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震。元日に起きた最大震度7の地震からひと月が過ぎました。被災した翌日から、現地で避難している人々の命をつなぐ“食”を支え続けたふたりのシェフに、被災地の現場で必要だったこと、これから必要なことをお聞きしました。聞き手は、取材やプライベートでも能登を訪ねた経験を持つ食と旅の編集者、山路美佐さん。輪島市の池端隼也シェフ篇(この記事)、七尾市の平田明珠シェフ篇の2回に分けてお届けします。
震災翌日から、地域の人々の命をつないだ料理人
2024年1月1日16時10分。人々が家族団欒で過ごしていた夕刻、最大震度7の地震が能登地方を襲った。 1月29日14時時点のデータ(*石川県危機管理監室発表)では、確認されている石川県の死者は238人、建物の倒壊は3万件以上とその被害は甚大。令和6年能登半島地震と名付けられ、後世に伝わる大震災となってしまった。 震災の影響で、インフラも崩壊。道路は寸断され、半島という地理的特徴は孤立集落を生んだ。県内の停電は1日の約3万9900戸から29日の時点で約3300戸まで減ったものの(*石川県馳浩知事記者会見)、断水にいたってはいまなお、能登のおよそ41,200戸で続いており、不自由な生活を強いられている(*1月29日北陸放送)。 震災翌日から、自らが被災しながらも、地域の人々の命をつなぐ“食”の部分を担ったのは地域の料理人たちだった。その中の二人、輪島市「ラトリエ・ドゥ・ノト」の池端隼也氏と、七尾市「ヴィラ・デラ・パーチェ」平田明珠氏に、いままでの活動と、そこから見えてきた災害時に必要だったこと、そしてこれから必要なことを聞いた。
「ラトリエ・ドゥ・ノト」シェフ池端隼也氏の1月──輪島篇(2024年1月15日の段階)
「ラトリエ・ドゥ・ノト」は、かつて輪島塗の塗師が暮らしていた立派な蔵つきの古民家を改装した美しいレストラン。外海と内海に囲まれ、山の恵みも豊富な能登半島の食材を使い、能登の魅力を料理から発信。ここでの体験を目指して、わざわざ国内外から人々が訪れる店であった。