輪島市で被災、車中泊しながら1600人分の食事を届けたシェフが望む「被災地の食と必要なこと」
車中泊をしながら仲間と毎日1600食を避難所へ
1月4日から、避難している人のために温かい食事を作ろうと本格的に動き始めた。まずはガス販売店でプロパンガスを確保。周りの商店からは干物や冷凍した魚介類を、畑を持っている人からは野菜をもらって食材を集めた。 屋根のある長屋の一角を見つけ、そこをセントラルキッチンとした。ここから輪島各所にちらばる避難所に温かいものを届けようと考えたのだ。しかし、崩れた店から引っ張り出してきた鍋を寄せ集めても、作れる食事の量が限られてしまう。ガスもなくなるかもしれない。そう思っていた時にときどきつながる電波を通じて、ワールド・セントラル・キッチンから連絡が入った。 ワールド・セントラル・キッチン(通称WCK)とは、2018年のTIME誌で「最も影響のある100人」にも選ばれたスターシェフ、ホセ・アンドレスが発足した国際的な災害時に食事の面でサポートする組織だ。彼らは食団連(㈳日本飲食団体連動会)の理事、大阪のレストラン「HAJIME」 の米田肇氏を通じて能登にいるシェフへのサポートを申し出ていたのだ。“欲しいものがあるか”と聞かれ、大きな鍋や包丁などの調理器具、そしてガスが必要だと伝えた。
1月5日の朝にはWCKのメンバーにお願いしたものが届いた。炊き出しに必要な最低限の設備が揃ったら、次は現状把握だ。電波がない中、自分達が認識できている避難所を一つずつ訪ねて、避難している人の人数、避難所の担当者の電話番号などの情報を集めた。 大きな避難所は輪島中学校、大屋公民館、大屋小学校、JA河原田地区、河井小学校など 。1月5日から始まり、15日までほぼ毎日1600食を届けるまでになった。 炊き出しをする仲間も増えた。近隣の居酒屋、ラーメン店、漆器店、農家などさまざまな業種の15名が力を合わせ、調理、配達を行っているという。
“栄養”と“健康”を考えた食事が足りない
被災して数日後からは自衛隊も入り、支援物資も届き始めた。お腹を満たすための食べ物は順次入り、命をつなぐための最低限の食事は確保されてきた。しかし、生命を維持する最低限の食が賄われるようになると、次に発生する問題は“栄養”と“健康”だと池端氏は実感していく。 「輪島はもともと高齢者が多いエリア。若い家族などは、金沢などの都市に避難するのですが、高齢者は地元に残りたいという希望が多い。具のない味噌汁や冷たいおにぎり、カップ麺のようなものばかりが続けば体力がもちません。冬の寒い時期に体力が落ちれば、風邪もひきやすくなる。一人が風邪をひけばそれが他の方にもうつってしまう。そうすると避難所が機能しなくなります。インスタントのものは塩分過多なので血圧も心配です。私たちはできるだけ野菜が多めでタンパク質が取れるものを作るように心がけています」と続ける。 国の支援を始め、他県からのボランティアも含め、その“栄養”や“健康”を考えたメニューを提供する人は驚くほど少ないのだという。 「ボランティアで炊き出しに来る人たちにくる方には、カレーや丼など高脂質高塩分のものではなく栄養を考えた料理を考えてほしいと強く訴えたいですね」と池端氏は話す。 1月10日を過ぎたあたりに「北陸チャリティレストラン」の方から応援の連絡があり、彼らが金沢のセントラルキッチンで作る1300食が届くようになった。いまでは自身のチームが作る料理と、彼らから届く料理に手を加え、輪島の小さな避難所にまで配達が行き届くようになりつつあるという。 自身の生活も少しだけ進化が見られた。1月12日までは車で寝泊まりしていた池端さんだが、「北陸チャリティレストラン」のはからいでキャンピングカーが届き、12日からようやく足を伸ばして寝られるようになったのだ。