〈梅田スカイビル〉〈JR京都駅〉を設計した原広司が逝去。世界各地の「集落の教え」を結実した建築家。
2025年1月3日、建築家の原広司が亡くなりました。享年88歳でした。 原広司は1936年、神奈川県生まれ。東京大学建築学科の丹下健三研究室で学ぶ。大学院では内田祥哉に師事した。1961年にRAS設計同人を設立。1969年にアトリエ・ファイ建築研究所と改組する。 【フォトギャラリーを見る】 1970年代にはヨーロッパや中東、アフリカ、中南米など世界各地を訪れ、人々がその土地の地形や気候に応じてどのように集落を形成し、暮らしているのかを研究した。その成果は著書『集落の教え100』『集落への旅』などに結実している。自邸を含む住宅建築には彼が研究した集落と通底するものがあった。 代表作〈梅田スカイビル〉は円形の穴が開いた空中庭園が2棟のビルを結ぶ建物。指名コンペで選ばれた〈京都駅ビル〉はドラマチックな大階段を通じて駅の南北を結ぶ。『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』の中核施設である〈越後妻有里山現代美術館 MonET〉は水をたたえた中庭を柱が林立する回廊で囲む構成。正方形の建物は打ち放しのコンクリートとガラスによって静かなたたずまいを見せつつ、アートを通じて人々が集う場となる。
〈札幌ドーム〉では天然芝を浮かせて移動させることで野球とサッカーのグラウンドを切り替えるシステムを世界で初めて採用した。館内に森の中の遊歩道のようなスペースを内包する〈飯田市美術博物館〉、友人のグラフィックデザイナー、粟津潔のために設計した〈粟津邸〉、雲のようなグラフィカルなイメージがファサードを覆う〈ヤマト・インターナショナル〉などの作品も高く評価されている。 東京大学生産技術研究所などでも教鞭を執り、門下からは山本理顕や隈研吾、竹山聖といった建築家を輩出している。前出の『集落の教え100』のほかにも『空間〈機能から様相へ〉』などの著書がある理論派であり、〈梅田スカイビル〉や〈京都駅ビル〉のように都市のスケールを持つ建築を生み出すことができた希有な建築家だった。
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