なぜWBO世界王者の木村翔は魂揺れる激闘をTKOで制してV1に成功したか
八重樫を驚嘆させた1ラウンドからフルスロットルの底なしのスタミナは、青木ジムの伝統とも言える猛練習に裏づけされたものである。1ラウンドを4分に設定して、ミット打ちも必ず12ラウンド行う。「拳を傷めるから」と珍しくサンドバッグは叩かないが、手を休めない12ラウンドである。香港、タイ合宿で消化したラウンドは、合計300ラウンド。しかも灼熱のタイでは、何度も脱水状態になって意識を失いながら、これだけのラウンドをこなしてきた。 「まったく疲れていない。12ラウンドまでやるつもりだったので」 パワーは本人も「のびている。まだフライ級の体になっていない。もっとのびる」と感じている部分。この9月から週に1度のペースで総合格闘家の青木真也らを教える山田崇太郎氏の指導を受けて本格的なフィジカルトレーニングを始めた。これまでは、酒屋の配達のバイトで生ビールのタンクを運ぶことがフィジカルトレ代わりだったが、その効果で1キロほど筋量が増え、パンチ力もアップしていた。 「チャンピオンになって責任感というか精神的部分も成長したと思う」 タイ合宿では一緒のベッドで寝泊りした有吉会長が言う。 敗者は控え室で引退を表明した。 「負けたらこれが最後と言った言葉に二言はない。大舞台で出し尽くした。悔いはない」 五十嵐は涙をこらえるのが精一杯だった。 「本当に1年で人生ってこんなに変わるんだなと実感している」 一方の勝者は、そうニヤついた。 「喧嘩に強くなりたいから」と中学でボクシングを始めた木村は、本庄北高時代に1年でインターハイ出場を果たしながらも1回戦で敗れ、ボクシング部を辞めて“悪い道”に足を突っ込んだ。以降、8年間、ボクシングとは縁を切った。「夢ってこうやってあきらめていくもんなんだなあと思いました」 母・真由美さんの死をきっかけに、23歳になって木村は、ボクシングを再開したが、プロデビュー戦で苦手だったサウスポーの王子翔介(E&Jカシアス)に2度ダウンを奪われて1ラウンドでKO負けした。試合後、木村は2度目の引退を有吉会長に申し出ている。性格にムラがあった。 有吉会長は「本当にボクシングだけに打ちこんでみないか。人生をかけてみないか」と説得、引退を思い留まらせたという。 昨年の大晦日は、友人と「部屋でグダグダしながら」小国以載が無敗の怪物王者、ジョナタン・ グスマンを判定で下したIBF世界Sバンタム級戦をテレビで見ていた。 だが、中国の英雄を敵地で破る史上最大の番狂わせから無名ボクサーの人生が反転した。 それが本物の反転になるのか、それとも、一瞬の夢で終わるのか。真価も、これからの人生も問われる五十嵐戦で、木村は9ラウンドの間、外されても外されても、ありたっけのパンチを打ち込んだ。 2度味わった青春の蹉跌……が、そうさせたのかもしれない。