米軍に入隊した日本男児サイトウ曹長が体験した"戦場の真上の恐怖"「基地に帰って、ヘリの機体を見たら『穴が開いてるじゃん!』って」
米海軍横須賀基地から始まったサイトウ曹長の米軍を巡る旅。海軍入隊後、メディック(衛生兵)としての訓練を重ねた後、海兵隊転属の命令を受けて、米ミラマー海兵隊航空基地へ。 【写真】イラクの診療所での写真 そして、ヘリに乗る衛生兵・フライトメディックとして、激しさを増し続けるイラク戦争に出兵する日が来た。揚陸艦に乗り込み、まずは隣国クウェートを目指す。サイトウ曹長がイラクの道中、そして戦地で見た景色とは。 【"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児 サイトウ曹長の米軍を巡る冒険譚 〈第2回 イラク戦争前編〉】 * * * ■「海兵隊にようこそ、ドク」と言われた夜 米カリフォルニア州、ミラマー海兵隊航空基地。ここにはかつて、海軍戦闘機のパイロットを育成する海軍戦闘機兵器学校、通称「トップガン」があったが、今は第3海兵航空団が展開している。 この航空団は、FA18戦闘機を運用する第11海兵航空団、F35Bを運用する第13、そしてサイトウ伍長(当時)の配属先、中型ヘリを使う第16海兵航空群がある。 サイトウ伍長の配属されたHMM-163飛行隊は、当時CH46中型ヘリを運用していた。前後にふたつのプロペラを持つツインローターヘリで、機体胴体全長13.1m。大型バスより約1m長い。巡航速度241キロ、航続距離396㎞。乗員3人で、武装兵も最大25人乗せられる。 「ミラマー基地に着いても、しばらくはヘリに乗るための訓練の日々でした。 ヘリの搭乗スペースを模した大きな鉄箱に乗せられ、そのままプールに落とされて脱出する演習とか。ヘリが水上に不時着した場合にも、冷静に脱出できるようにするための訓練です」 それに合格しないとヘリには乗れない。 「自分はスキューバダイビングのライセンスを持っていたんですけど、それでも怖かった。最終課程では目隠しされたり、夜間にやったりするので、上下がどっちかもわからなくなるんですよ。小さな酸素ボンベが与えられたときもあったけど、それも数分くらいしか持たないっていう」 訓練をこなす裏で、イラク戦争はさらに激烈を極め、現地でメディック(衛生兵)は必須の兵士となっていた。 「無事に合格し、すぐにイラクに向かいました。それが2006年のこと。陸軍なんかは一気に大人数を送る必要があるので飛行機で大量輸送するのですが、ウチら海兵隊は人数が少ないのでサンディエゴから強襲揚陸艦LHD-6(USS Bonhomme Richard)で行きました。 ヘリをそのまま乗せて、何度か停泊しつつクウェートまで洋行する。最初に、約2週間かけてシンガポールへ向かいました」 約2週間で太平洋を横断する。高波などでひどく揺れたりしないのだろうか?