廃車の天国 米巨大ジャンクヤードで見つけた「お宝」 40選 後編 日本車も多数発見
アウディ5000
第3世代のアウディ100は、米国では「5000」とも呼ばれ、1982年に生産が開始された。スタイリッシュでエアロダイナミクスに優れており、欧州では好調な売れ行きを見せたが、米国では突然の「意図しない加速」に端を発するリコールにより、困難に直面した。 この個体はドアも窓もすべて閉まっているにもかかわらず、車内に草が生えているようだ。おそらく床に穴が開いているのだろう。
AMCグレムリン
シボレー・ベガ、フォード・ピント、フォルクスワーゲン・ビートルに対抗するコンパクトカーを発売するなら、燃費は最優先事項のはずだ。しかし、AMCグレムリンの設計者はそのメモを見落としたようだ。発売当初、グレムリンは3.3L 6気筒エンジンを標準装備していた。 比較的速く、(少なくともライバル車と比べると)静粛性も高かったが、平均燃費はわずか7.5km/lである。
ナッシュ・ランブラー・クロスカントリー
この1950年代半ばのナッシュ・ランブラー・クロスカントリーが新車だった頃を想像してみてほしい。磨き上げられたツートンカラーの塗装、輝くクロームメッキ、新車の香りが漂うインテリア。もし鳥が屋根の上で用を足そうものなら、誇り高きオーナーは発作を起こしただろう。今の状態を見たら、彼らは何と言うだろう?
ダッジ・コンクエスト(1985年)
三菱スタリオンの名称については、米国ではちょっとした混乱があった。三菱によれば、スタリオン(Starion)とは「スター・オブ・アリオン(Star of Arion)」の略で、アリオンは神話に登場する馬だという。しかし、日本人担当者が英語の発音に苦労し、「種馬(Stallion)」と間違えられるような場面もあったという。 とりあえず、名前のことは一旦忘れよう。こちらはスタリオンのリバッジモデルである1985年型ダッジ・コンクエストだ。
フォードF100
ナンバープレートのタグによると、この1960年代半ばに生産されたフォードF100は、10年前にはまだミネソタ州の田舎町を走り回っていたようだ。ハイマウントのフロントランプから判断すると、冬の間は除雪車として活躍していたのだろう。