これが本当のネイキッド!! 1980年代に生まれて消えた「カウル脱いじゃった系」ネイキッドモデル
国内のカウル認可後に生まれた、1980年代半ばのネイキッドたち
オンロードモデルの中で、定着して久しいネイキッド(英語のNAKED=裸という意味)というカテゴリー名。今では「カウルの付かないスタンダードなバイク」の総称のようになっているが、ならばカウルが国内認可されていなかった1970年代以前の国産車はすべてネイキッドになる。でも、ちょっと違和感がある。“ネイキッドの言葉が生まれたのは1980年代半ばで、カテゴリーとして定着したのは概ね1990年以降だから”なのだ。 【画像18点】ブーム前夜の知られざる1980年代ネイキッドマシンをチェック! レーサーレプリカブームと逆の潮流として、真のネイキッドブームが生まれた起点は、1989年登場のカワサキ・ゼファー(400)からと、よく言われている。この大ヒット以降、国内4メーカーはこぞってネイキッドモデルを開発するのだが、1980年代半ばにネイキッドの言葉が初めて使われてから約5年ほど、スポットライトが当たらずに退場した「ネイキッド」があったことは、あまり知られていない。 今回は、そんなブーム前夜に生まれた「元祖ネイキッド」たちを紹介しよう。 (写真説明) ■1989年4月発売のゼファー(400)。レーサーレプリカブーム全盛の中、カウルなしの懐古的なスタイルをニュージャンルマシンとアピールしたカワサキは、同車をノンカウルと表現しネイキッドの言葉を使っていないものの、ブームの立役者と言われる。Z400FXベースの空冷4気筒DOHC2バルブエンジンは高性能を狙わず、最高出力は46ps。当時価格52万9000円。
初期のネイキッドは、本家レーサーレプリカモデルの地味な廉価版だった
ネイキッドという言葉が定着する前段として、「バイクがどうして”裸”なのか」に着目しよう。裸の対語として「ちゃんと着ているバイク」がなくては言葉の意味が成り立たないのだが、「着ているバイク」=カウル付きバイク、ということになる。そして、カウルが国内で認可されたのは、ホンダCBX400Fインテグラ(1982年)が初めて。これ以降、ホンダはカウル付きモデルに「インテグラ」のサブネームを付けて、VF400F、VT250Fでもカウル付きモデルを追加発売している。 ベースモデルを発売し、その後派生モデルでカウル付きを追加する展開をホンダは国内でしばらく続けたが、同時期に、他メーカーは最初からカウル付きを国内発売するようになった。そうした例がヤマハXJ750D(1982年)やレーサーレプリカの始祖となるスズキRG250Γ(1983年)で、カワサキはGPz400(1983年)を発売した。 新車の開発サイクルが早いのがこの時期の特徴だが、1984年に入るとホンダはカウル付きのレーサーレプリカNS250Rを投入し、カウルなしのNS250Fを同時発売。この時点でNS250Fはネイキッドと表現されておらず、NS250R自体が短命に終わったため注目されなかったが、初期の意味合いでのネイキッドの起源を、ここに求めることができよう。 1980年代半ば時点でのネイキッドは今より狭義で、カウル付きの本家(主にレーサーレプリカ)に対して、カウルなしの廉価版という位置づけだった。無論のことメーカーはそんな表現を使わなかったが、後に、気の利いた表現はないかということでひねり出されたのが、「ネイキッド」の言葉だったと思われる。 (写真説明) ■CBX400Fの後継として、2年後に登場したCBR400Fは1983年12月発売。同車はネイキッドとは謳われていないが、レーサーレプリカからカウルを取ったような雰囲気はここから始まり、他社に影響を与えたと思われる。そして翌1984年にカウル付きのCBR400Fエンデュランス(下写真)を追加発売。CBX400F系空冷4発をベースにしつつ、回転に応じてバルブ作動数を変えるREVを採用したのが特徴。最高出力58psで、当時価格53万9000円。 ■スポーツ車にカウル付きが定着してきた1984年、ホンダは2ストレプリカのNS250Rを発売。先代MVX250F(同車に付くビキニカウルはカウルとは言わない。メーターバイザーの呼称だった)でのトラブルと販売不振を経て、早くも1年でバトンを受けたNSは、カウル付きのRとカウルなしでスチールフレーム&スイングアーム採用のNS250F(写真下)を同時発売。ネイキッドの言葉は使われてなかったものの、主力機に対するカウルなしの廉価版として初の例と言えた。水冷2ストローク90度V型2気筒で、ともに最高出力45psを発揮。価格はRの53万9000円に対して、NS250Fは42万9000円。