山本由伸が18歳で見せた片鱗 176勝左腕が“震えた”行動「自分がうまくなることだけ」
印象に残る能見篤史、金子千尋、山本由伸
それでも、2球団計12年間のコーチ生活で多くの選手たちと関わったことは星野氏にとっても財産になった。もちろん、飛躍していく姿を見るのはうれしかったし、忘れられない。「(阪神2軍投手コーチでの)最初は能見(篤史投手)ですかねぇ。彼がちょっとくすぶっていた時で、1軍に行っては(2軍に)戻ってくるを繰り返していた感じでしたからね」と星野氏は話す。 「あの頃の能見は1軍に上がると力みが多かった気がします。ファームで完璧に抑える時の球速は143、4キロなのに、1軍では148、9キロで、しかも棒球が多かったイメージでしたから。(技術)指導はしていないけど『ファームと同じことをやってみたら』って言ったことはあったと思います。彼も必死でしたからね」。能見はそんな時期を経て、1軍に定着していった。苦しんでいたことを知っている分だけ、星野氏にとっては印象深い左腕のようだ。 オリックス1軍コーチ時代では金子千尋投手の名前を真っ先に挙げた。「(2010年3月20日の)楽天との開幕戦(京セラドーム)で、金子が1-0で完封した時はうれしかったですね。ピッチングコーチ冥利に尽きるというか……。外の出し入れとカットボールとチェンジアップ。極端に言えばそれだけで抑えた感じ。金子のチェンジアップはブルペンではただの遅い球にしか見えないけど、バッターに投げると落ちているように見える。それが不思議でもありましたね」。 ドジャース・山本由伸投手についても「彼はしっかりしていましたね」と振り返った。山本がオリックスでルーキーだった2017年シーズンだけ、星野氏は絡んだ。「ブルペンにコーチがいても由伸は自分のやることが明確だった。例えば移動式の大きな鏡の前で30球くらいシャドーして、終わったら片付けてウエート場に行って、もうパパっとやるべきことをやって帰るとかね。アピールを間違うヤツはコーチがいる間、ずっとブルペンで投げたりとかしていますから」。 星野氏は「やり方。どこを見ているかですよね」という。「由伸は自分がうまくなることだけを考えていた。僕らコーチに見せるためにブルペンでたくさん投げて疲れちゃったら何にもならない。次の日に試合で投げるかもしれないですからね。高校を出たばかりで、あそこまでしっかり自分のやりたいことをやれるのも、やっぱりちょっと(他の投手とは)違いましたね。僕ら(コーチ陣)の中でもあの子はしっかりしているなという話になっていましたよ」。