山本由伸が18歳で見せた片鱗 176勝左腕が“震えた”行動「自分がうまくなることだけ」
星野伸之氏は2006~2017年に阪神、オリックスのコーチを歴任
NPB通算176勝を挙げた星野伸之氏は2002年の現役引退後、2006年から2009年まで阪神2軍投手コーチ、2010年から2017年まではオリックスで1軍投手コーチなどを務めた。現在は野球評論家として活動しながら「星野伸之野球アカデミー」で子どもたちの指導にも取り組んでいる。自身のような“遅球投手”については「それは出てこないでしょう」と言いながらも「もし出てきたら大応援しますよ」と目を輝かせた。 【写真】元オリスラッガーの妻は「ばり美人」 新妻・ゆり香さんらとの3ショット 星野氏のこれまで2度のコーチ業は、いずれも阪神、オリックスOBである岡田彰布氏に誘われたものだった。岡田監督率いる阪神が優勝した2005年に「(評論家としての)取材に行った時に(打撃)ケージの後ろで『コーチをやったらどうだ。2軍やけどな』って言われて『やらせていただきます』みたいな感じになった」という。その縁で2006年から2009年まで阪神2軍投手コーチとして若手育成に力を注いだ。 岡田氏は2008年シーズン後に阪神監督を退任し、1年間の評論家生活を経て2009年オフ、オリックス監督に就任した。そのタイミングで星野氏もオリックス1軍投手コーチになった。阪神関係者から連絡が入り「『今、岡田さんと一緒にご飯を食べているからちょっと来てくれ』と言われて行ったら『今度、オリックスの監督をやるから』って。『僕は何をしたらいいのでしょうか』と聞いたら『1軍コーチで』ってことでした」。それで決まったそうだ。 「でもオリックスではうまく協力できなかったような感じでしたけどね」と星野氏は申し訳なさそうに話す。阪神選手時代に悩まされた心拍数が増加する頻脈に再び見舞われて休養するなど、オリックス・岡田体制ではフルに働けなかったからだ。その後、体調も落ち着き、森脇浩司監督、福良淳一監督の下でも投手コーチとして仕えたが、2017年シーズン途中にまたもや……。結果、その年限りで退団となった。「今は何も問題ないんですけどね」。こればかりはどうしようもなかった。