<露ドーピング>スポーツと薬物使用の長い歴史 五輪では100年以上前から
1904年五輪のマラソンで違法薬物摂取の記録
オリンピックにおけるドーピングといえば、1988年のソウル・オリンピックでカナダのベン・ジョンソンが男子陸上100メートルで世界記録を出し金メダルを手にしたものの、その後行われたドーピング検査で陽性反応が出たため、金メダルと記録の両方をはく奪される事件がありました。また、ドイツでは1990年の東西ドイツ統一後に、70年代から80年代にかけて多くのメダリストを生んだ旧東ドイツで、アスリートが国家主導でドーピング漬けにされていた事実が次々に発覚。競技生活終了後に肝機能障害などに悩まされる元アスリートも少なくなく、旧東ドイツ政府に酷使されていた様子を回顧録で打ち明けた有名アスリートもいたほどです。 薬物を使ったドーピングの歴史は古く、古代ローマで絶大な人気を誇った「戦車競走(馬車を使ったもの)」では、騎手がレース前に興奮作用のあるハーブの抽出液を口にしていたという記録も残っています。 オリンピックにおけるドーピング検査が初めて実施されたのは1968年。それ以前の大会でも禁止薬物を使用した選手はいましたが、現在ほど厳しい罰則が適用されることはありませんでした。 1904年にアメリカ中西部のセントルイスで行われた夏季オリンピックでは、男子マラソンで優勝したフレッド・ローツが区間の約17キロを車で移動していたことが発覚し、金メダルをはく奪されました。代わりに1時間遅れで2位に入ったトーマス・ヒックスが繰り上がりで金メダルを獲得するのですが、ヒックスはパフォーマンスを向上させる目的でレース前に少量のストリキリーネを注射し、ブランデーを何杯か飲んでからレースに参加しています。ストリキリーネの効果が長続きしなかったため、レース中にもう一度摂取したという話も残っています。現在だと大スキャンダルに発展しますが、ヒックスの金メダルに対して批判する声はほとんどありませんでした。
他国への波及は? WADAの調査力に限界も?
これまで国家絡みのドーピングについて一切否定してきたロシア政府ですが、ここに来て方針を急変させています。プーチン大統領は11日、ロシア政府が内部調査を独自に行い、ドーピングに関与した人物に処罰を与える用意があると語っています。問題解決のためにWADAと協力する姿勢もプーチン大統領は強調しましたが、前述の国際陸連による理事会が13日に行われることや、リオでのオリンピック開催が目前に迫る状況で、できるだけ早くドーピング問題の収拾を図りたいロシア政府の思惑も垣間見えます。