「暴力の源は戦争を生む近代文化と個々の心にひそむ」戦犯たちの最期を見届けた教誨師が訴えた~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#69
戦犯と共に一切の批判は将来に委ねる
(「世紀の遺書」序文) この書に収められた七〇一篇の遺書遺稿は何れも窮極に於て日本人は何を思い、何を希うかを赤裸々に訴え、同時に人間の真の姿を如実に示しております。固より思考力の差や死刑囚生活の長短によって、その到達している段階は種々でありますが、そこには力強い一つの流れが明かに感じられます。そうして純粋にして豊かな人間性の叫びは、私共の徹底的な反省を促し、新たな思惟(しい)に貴重な示唆を与え、更に私たちを鼓舞して止まないのであります。 戦犯死刑囚の多くと接しその最期を見送って来た私には、この人々のために戦争裁判について訴えたいことが鬱積しておりますが、この書の目的がこれらの人々の切々たる叫びを世に生かさんとする未来への悲願であることを思い、寧ろ黙して故人と共に一切の批判をも将来に委ねたいと思うのであります。 〈写真:寄せられた戦犯たちの遺書(「世紀の遺書」より)〉
滂沱たる涙を禁じえず
(「世紀の遺書」序文) この書を読んで私はその一篇々々に滂沱たる涙を禁じ得ませんでした。それは悲痛の涙であると同時に美しく逞しい日本人の心に浸った感激の涙でありました。かくも厖大な資料により人間窮極の叫びを集成したこの書は世界に例のない貴重な文献として、国境を超え時代を超え、不易の生命を以て絶えず世に叫びかけるものと信ずるものであります。 昭和二十八年八月十五日 巣鴨教誨師 大正大学教授 田嶋隆純 〈写真:晩年の田嶋隆純教誨師〉 こうして「世紀の遺書」には、石垣島事件で死刑執行された7人全員の遺書が収められたのだったー。 (エピソード70に続く) *本エピソードは第69話です。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。