「暴力の源は戦争を生む近代文化と個々の心にひそむ」戦犯たちの最期を見届けた教誨師が訴えた~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#69
戦犯は世界を覆う矛盾の所産
(「世紀の遺書」序文) 私たちはこの混沌の底に在って、理性と善意に絶望する前に今一度赤裸々な人間に立ちかえり、一切を見直す必要に迫られております。然るに、ここに強制された逆境を契機として、この様な深い内省をして来た一群の同胞があります。それは所謂「戦犯」として斃(たお)れた人々であって、その最後の声に私たち同胞は心から耳を傾けるべきだと思います。 戦犯者に対する見方は種々でありましょうが、高所より見ればこれも世界を覆う矛盾の所産であって、千人もの人々が極刑の判決のもとに、数ヶ月或は数年に亘って死を直視し、そして命を絶たれていったと云うことは史上かつてなかったことであります。恐らくこれ程現代の矛盾を痛感し、これと苦闘した人々はありますまい。一切から見離された孤独な人間として単身この矛盾に対し、刻々迫る死を解決しなければなりませんでした。それは自身との対決であり、同時に真理を求める静かな闘いでもあったのです。 〈写真:田嶋隆純教誨師〉
戦争は相手の死を求め、自身の死をも要求
田嶋教誨師は真言宗豊山派大僧正で、13歳で仏門に入ってチベット語とチベット仏教を学び、1931年、フランスのソルボンヌ大学に留学。1941年夏、仏教界を代表して渡米し、太平洋戦争開戦を何とか止めようと、各地で日米両国間の平和維持を訴えた。願い叶わず、真珠湾攻撃直前の最後の船で帰国したという。花山信勝のあと、二代目のスガモプリズン教誨師となってからは、戦犯死刑囚たちの助命嘆願運動に力を尽くした。 (「世紀の遺書」序文) 戦争は直接の目的として相手の死を求め、手段として自身の死をも要求します。このため日本人は「死」そのものを最高善の如くさえ教え込まれて来ました。然るにこの人々は強制された死に直面して生きる喜びを知り、最後の瞬間まで自身をより価値あらしめようと懸命に努力しております。それは自己の尊厳と生命の貴さへの覚醒でありました。「己の如く隣人を愛せよ」と云われますが、自己を真に愛することを知らずして他を愛することは出来ず、最高の徳とされる犠牲的精神も正しい意味の自愛の反転に外なりません。「死に直面して一切が愛されてならない」と云う或遺書の一節は端的にこれを物語っております。 この心は即ち肉親愛でもありまして、すべての人が言葉をつくしてその父母妻子に切々たる情を伝え、身の潔白を叫ぶのも寧ろ遺族の将来の為に汚名を除かんとする努力なのであります。更に愛は郷土へ祖国へと拡がり、遂には人類愛に迄高められております。人道の敵と罵られ祖国からも見離された絶望の底に於て、尚損なわれることのなかった純粋なこの愛国心は改めて深く見直されるべきであり、この基盤なくしては人類愛もまた成立し得ないものと思うのであります。 〈写真:世紀の遺書 初版(巣鴨遺書編纂会 1953年)〉