ロックスター、志磨遼平の孤高に至る物語。自叙伝『ぼくだけはブルー』で何を描いたのか
『1』リリース当時のファンの証言も掲載。志磨の「策略」とは
―『ぼくだけはブルー』では「証言」として、周囲の方が志磨さんをどう見てきたかというコラムも掲載されていますね。例えば、ご両親、「毛皮のマリーズ」メンバーであり友人である越川和磨さん、初期のマリーズメイニア……。特に『1』リリース当時のファンの証言は衝撃的で、『the dresscodes magazine』で募集していた際には「私への暴言罵倒などが含まれる表現も歓迎いたします」って書いてありましたね(笑)。 志磨:誘導してますよね(笑)。それは僕の悪い癖でもあり、僕の創作の特徴でもありますけど、この本を編集する視点で、そういう意見がここに挟まるとすごく面白いなと思って。僕への罵り、誹謗中傷であるとか――とにかく否定的な意見が並んだページがあれば、本として締まるなあ、と。そういう思いでした。 ―策略だったんですね。そして、厳しい意見も含めて掲載されていらっしゃいました。 志磨:これは投稿してくださった皆さんの名誉のためにも言っておかなきゃならないのですが、ほとんどの投稿の文末は「しかし、志磨遼平は私にとっていまも素晴らしい存在である」というふうに締めくくられていました。僕が、そこを省いています。 ―省いていらっしゃったんですか! 志磨:はい。それも一応、お伝えはしましたよ。すごく悪意のある抜粋をしますけど、どうかその意図を汲みとって、お許しくださいと。皆さん快く許可してくださって。一番ひどいところを抜粋してあるだけで、その前後にはすごく愛のある文章が隠れているんですけど。そんなん載せたところでね、面白くなりませんから。 ―証言があることで、物語を立体的に捉えることができたように感じました。ご本人からしたら、身近な人から見た自分の像っていうのを確認することって、あまりない機会ですよね。 志磨:そう、盗聴でもしないかぎりそんな機会はない。(証言者への)インタビューの場に僕は立ち会ってませんので、いわゆる欠席裁判のかたちというか。だからあとから読むのがすごく面白かった。 僕の主観的なエピソードに、客観的な「証言」が加わったことで、テクスチャーというか、質感、実感が伴ったような印象を受けました。答え合わせというか、僕の供述に嘘がないかどうかの事実確認というか。 ―こう見えてるんだ! といった驚きはありましたか? 志磨:いや、自分でも自覚しているところが多かったですね。僕が人の話を聞かないとか(笑)。「わかりました!」って言ってわかってない、とか。 小学校のときの通知表を思い出しますね。先生からのコメント。志磨くんは真面目に授業を受けているようで、まったく話を聞いていない、いつも上の空でそわそわしている、集中力がないと。わかってないなあ、集中力はあるんですよね。授業が面白くなかっただけ。 ―同級生から「志磨さん」と呼ばれていた小学生時代ですね。 志磨:そうそう、そうです。同級生から敬語を使われていたという。