ロックスター、志磨遼平の孤高に至る物語。自叙伝『ぼくだけはブルー』で何を描いたのか
「なぜひとりになってしまうのか」あるいは「なぜひとりになりたがるのか」
―会員限定のWEBサイト『the dresscodes magazine』のコラムでは、この本の主題は「『なぜひとりになってしまうのか』あるいは『なぜひとりになりたがるのか』」ということだと、はっきりとおっしゃっていました。その主題は最初から決まっていたのでしょうか? 志磨:はい、最初から。ともするとただただ自分の昔話を語る人みたいになるおそれがあるので、本に通底するテーマが必要だなと。そして、どこからどこまで話そうか、ということ。いまこの時点、42歳まですべて書き切るのか。それとも、どこかの時点で区切りをつけるか。 ちょうど1~2年前に、プライマル・スクリーム(※)のボビー・ギレスピーのふっとい自伝が出まして、それが初めての大ヒットアルバム『スクリーマデリカ』を出したところで終わるんですね。僕はそのあとのアルバムが好きなんですよ。そこで終わるんか~い! っていう感じもいいなと思いまして。 ちょうどいいことに、今年は『1』というアルバム――つまり、僕がとうとう1人になったアルバムからちょうど10年ということもあって、じゃあ僕も2014年までを区切りとしようと。そう決めたとき、自ずとテーマも決まった気がしまして。つまり「なぜひとりになったのか」という、その答えらしきものが見つかるまで書こう、という感じでした。 ※スコットランドのグラスゴーでボビー・ギレスピーとジム・ビーティによって結成されたロックバンド。 ーそんな主題とも通じるかと思いますが、自叙伝を執筆する際に、思い浮かべた読者の姿のようなものはありましたか。 志磨:いままでの僕の活動をよく知ってくださってる方や、自分のつくるものを好んでくださる方はもちろんですけど――この本を書き始めるにあたっては、そうでない方も手に取る可能性を想像して書いた方が、気は楽ですので。 どういう人が面白く読み終えてくれるかなと考えると、自分と似たような境遇であるとか、ひとところにじっとしていられないような性質の人――それは、場所でも対人関係でも同じで、長く、一つの場所にとどまることができないということ。 何て言うのかな……自分が縛られる感じ、と言いますか。僕はそれがどうも生理的に耐えられないみたいで。君は日本人だからとか、君は男だからとか、僕はどうでもいいんですね。それが何であろうと。「君はここでじっとしてなさい」という圧力にどうしたって耐えられないんです。それが自分でつくったバンドであれそうなんですね、僕は。だから、うん。 例えば、本のなかにも何度も出てきますけど、毛皮のマリーズがアルバムを出すたび、ファンの方々からなんと言われてきたか。「こんなの毛皮のマリーズじゃない」って必ず言われてきたんです。そういうふうにしか歩みを進められないんですね、僕は。 そういう人、いらっしゃるかしら、ほかにも。そういう人がいたら、「わかる、わかる」と読んでくださればいいなと思っております。 ―『ぼくだけはブルー』を読んでいて、例えば1人であるということが寂しかったり、つらかったりする人がいたとして、そこに寄り添うような、仲間がいるような気持ちになるのではないかとも感じました。1人であることって、人間の根源的な悩みだと思うので……。 志磨:僕なんかは意外と、1人であることを、つらいとか寂しいと思わないところがあって。こうして1人でいるのが自分は楽なんだろうと。1人なら何をやってもいいし、いつやめてもいい。その状態がすごく自然で。そんなことを言うと、冷たい人だと言われそう――斉藤由貴みたいになりますけど(笑)。 バンドを長く続けられないだとか、コロコロとメンバーが変わるだとか、そういうことを繰り返してると、人間的にものすごい「欠陥」があるんじゃないか、あの人は、と思われていると思うんですけど(笑)。それに対して、僕はこういうふうに思っています、というのを書いたつもりですね。うん。そうそう。 同じように、「欠陥」があると周囲から思われている方が、これを読んで「そうそうそう!」っていうふうに思ってもらえれば。その人に寄り添うだとか、救うだとか、そんなおこがましいつもりではなく、いわゆる「あるある」みたいなね、そういう感じですね。それぐらいの気持ちです。「ひとりぼっちあるある」みたいな。 ―経験から申し上げますと、救われる側は勝手に救われます。 志磨:そうそう。そうなればもちろんね、願ってもないこと。