ロックスター、志磨遼平の孤高に至る物語。自叙伝『ぼくだけはブルー』で何を描いたのか
装丁は羽良多平吉、対談には美輪明宏。憧れの人たちとともに
―おっしゃっていたように、装丁はデザイナーの羽良多平吉さんが手がけられました。憧れのおひとだったんですね。 志磨:それこそ、僕が20歳くらいの頃、古本屋で買った本を読むぐらいしかやることがなかったとき。自分が手に取る本で、綺麗なデザインの本はだいたい羽良多さんがつくられたものだったんです。僕もいつか、ミュージシャンとしてね、本が出せるようになったら絶対に羽良多さんにお願いしようと思っていました。 ―イラストは志磨さんが描かれたそうですね。羽良多さんとは、どんなやり取りをされましたか? 志磨:(羽良多さんが)「君が描いた絵を送ってください」と。何年か前に書いたイラストがあったので、「これなんかどうでしょう」と送ったところ、「うん、65点」って(笑)。「どんどん描いて! 90点を目指しましょう」と、羽良多先生の特別授業が始まったのですが、自分としてはあれより気に入る絵がなかなか描けず、及第点の最初の絵が採用となりまして。 ―羽良多さんが装丁デザインを手がけた自叙伝が実現して、いかがですか? 志磨:そうですね。何て言えばいいのか。恥を捨ててじゃないですけど、この本をつくろうと決めたことの、十分すぎる対価をいただいたような感じというか。信じられないぐらいの、果報者でございます。 ーそして、美輪明宏さんとの対談も収録されていますね。「毛皮のマリーズ」というバンド名は、美輪さんと寺山修司さんの舞台『毛皮のマリー』から名付けられたということで「お名前を返納する」という命題がありました。対談は、いかがでしたか。 志磨:いまだにお会いできたことが信じられない……。現人神のような、生き仏のような、会っていても、会っている実感がないというか……。本当に緊張して、声も震えて、僕はどんどん声が小さくなっていって。「あなた、いつもそんな小さな声で話してるの? もったいないわよ」って言われてしまいました。 僕が感動で声を詰まらせるたびに「もっと大きな声で」って優しくおっしゃって。そのご指摘で大きな声を出すので、そのたび一応は夢から覚めるんですけど、しばらくするとまた声が詰まってしまう。意識が遠のくたびに呼び戻されて、何とか、何とか対談を終えたという。 こっちもファンですからね。美輪さんのご本もたいていは目を通していますので、お話しされるエピソードも出だしだけでなんの話か予想がつくんですね。好きなバンドのライブに行って、イントロだけで「わーっ!」と盛り上がるように。「きた! 森蘭丸の話だ!」と心の中でいちいち感動していました。