ロックスター、志磨遼平の孤高に至る物語。自叙伝『ぼくだけはブルー』で何を描いたのか
志磨遼平の初めての自叙伝『ぼくだけはブルー』が9月24日、出版された。 ライブやレコーディングのたびにメンバーが入れ替わるバンド、ドレスコーズを率いる志磨。2006年、毛皮のマリーズでデビューして一躍脚光を浴びるも、2011年に日本武道館公演をもって解散。翌年にドレスコーズを結成し、2年後には志磨以外の初期メンバーが全員脱退、現在のかたちに至っている。 【画像】志磨遼平 自叙伝では1982年、和歌山県に生まれてから、ドレスコーズ初期メンバーが脱退したのち、志磨が初めてソロプロジェクトとして手がけたアルバム『1』までの道程を描く。その主題を「『なぜひとりになってしまうのか』あるいは『なぜひとりになりたがるのか』」とする志磨。それは一体どういうことなのか? 執筆への思いや、込めた意図や策略など、たっぷり語ってもらった。
はじめは断った自叙伝執筆。「面白い本を1冊つくるという気持ちで」
―出版社の編集の方から自叙伝の企画を打診されたとき、はじめは丁重にお断りされたということでした。 志磨:何かを成し遂げた人が自伝を書くならまだしも、自分はまだ何も成し遂げてはいないと思うので。本にまとめることで一つ、自分の人生に区切りがついてしまうのではないかというのが、怖かったんですかね。 言ってしまえば自伝なんてものは、もうやるべきことをやり尽くして、なにもやることがなくなった人が暇つぶしに出すようなものなんじゃないかと。自分がそのように思われるのが嫌だったんですね。 ―最初にお断りしたときは、「まだいまじゃない」という気持ちだった。 志磨:そうですね。「いやいやいやいや」って、謙遜して。でも向こうも「いやいやいやいや」って(笑)。「面白い本になるよ」って、熱心に説得してくださって。 まあ、ミュージシャンの自伝も読むのは好きなので……読む分にはね。もともと本が好きなので、面白い本を1冊つくるという気持ちで引き受ければいいのかもしれないと思い始めたところに、「美輪明宏さんが対談を受けてくださるかも」という話があったり、僕がずっと憧れていたデザイナーの羽良多平吉さんが装丁を手がけてくださることになったり。いよいよ退路を絶たれて……頑張るしかないと。うん、そういう感じでしたね。 ―退路を絶たれて(笑)。面白いものを書こうという考え方で臨まれたんですね。 志磨:そうですね。ファンの人はきっと読んでくださるとしても、そうではない方々が手に取る本だと思えば、面白い読み物であればいいだけだし。そういうものが本屋さんに1冊増えると考えればいいかな、と切り替えました。