佐々木朗希が高校卒業後すぐにメジャーを目指さなかった理由 途上の18歳に必要だった「目」
ロッテ佐々木朗希投手(23)が今オフ、ポスティングシステムでのメジャー移籍を目指す。入団5年目オフでの決定に、9日の発表以降は「なぜ高卒でメジャーへ行かなかったのか」という意見も一定数ある。大船渡高時代を追った記者が「なぜ」を検証する。 【写真】憧れの女優を前にし、慌てふためく佐々木朗希 ◇ ◇ ◇ 初めて大船渡・佐々木を取材したのは、19年4月に国内高校生史上最速の163キロを投げ込む10日前、同3月27日の茨城・土浦一高での練習試合でのこと。登板しなかったその日、明らかに「球界関係者」のオーラをまとう3人がいた。 NPBのアマチュア部門のスカウトではない。1人はNPB球団の国際担当。2人はメジャー関係者。うち1人は、大船渡・国保陽平監督(当時)と以前から面識があった人物A氏だ。「日本の岩手にすごい高校生がいる」とのうわさが冬に広まり、まずA氏との接触を図ろうとするメジャー球団が多数あったという。 19年3月時点ですでにメジャー5球団ほどが大船渡を訪問するなど攻勢は派手だった。ただ佐々木は、163キロで注目を浴びる前から「今はないですけど、これからその時その時で考えていきたいです」と高卒即渡米は否定していた。 メジャーの夢を秘めながらNPB経由を選んだのは、国保監督の影響もある。自身も米独立リーグに単身チャレンジし、魅力と険しさを同時に知った。「とんでもない選手になるので、とにかくケガさせないように」と慎重に育てた。投げ込みや走り込みを強制せず、肉体も定期的にチェック。当時は監督から「医療関係者」という言葉も時折出た。血液などの内科的側面にも注視し、練習強度や球数も検討していった。 ドラフト前の面談では、将来的なメジャー希望を各球団に伝えたという。しかし18歳での渡米は早すぎた。日常が文武両道から野球一色になれば、練習量も増える。途上の肉体をその近くで支える“科学の目”がまだ必要だった。震災から苦難を共有してきた家族に、そばで活躍を見せたい思いもあった。だからNPBへ進んだ。【金子真仁】