Jリーグ開幕から20年を経て泥沼に陥った混迷時代。ビジネスマン村井満が必要とされた理由
Jリーグは混迷の時代に突入していくこととなる
村井のチェアマン就任の経緯に、話を戻そう。果たして前任の大東は、なぜ自らの後任を、村井に託したのであろうか。そしてこの決定は、大東ひとりによってなされたのであろうか。 ふたつの疑問のうち、前者について大東はこう答えている。 「これからのJリーグを引っ張っていくには、実行委員会や理事会のメンバーから幅を広げて、次期チェアマン候補を考えていました。(条件としては)まずサッカーへの理解があること。人格的にも適正で、ビジネスにも明るいこと。村井さんは社外理事でしたけれど、こうした条件にかなう上に、非常にしっかりした意見をお持ちでした」 一方、トップの人事について「時代背景によって人材要件は変わる」と主張するのが、当時理事だった中西。FIFA(国際サッカー連盟)やUEFA(欧州サッカー連盟)の事例を挙げながら、その理由をこう語る。 「FIFA会長でいえば、ワールドカップの拡大路線ならジョアン・アヴェランジェのような豪腕タイプ、IOC(国際オリンピック委員会)とのリレーションシップならゼップ・ブラッターのような実務に長けた人材が求められました。UEFA会長に関しても、レナート・ヨハンソンのようなビジネスパーソンのほうがいい時代もあれば、ミシェル・プラティニのような元スター選手のほうが上手くいく時代もありました」 その上で中西は、こう言い切った。 「大東さんの次はビジネスパーソンでないと、しんどかったですよね」 かなりの回り道となってしまったが、以上が「異端のチェアマン」誕生前夜となる、2013年当時のJリーグの状況である。Jクラブの数を増やし続けたものの、人気は上向かない上に、収入とメディア露出は減少。加えて2ステージ制導入決定で、ファン・サポーターの不信感は増大していた。20周年をのんきに寿ぐ余裕など、実はまったくなかったのが、当時のJリーグであった。 一方で、チェアマンに求められる資質や役割もまた、大きく様変わりしていた。少なくとも、チェアマンが(文字どおり)深々と椅子に腰を落ち着けて、優秀かつ実務に長けた理事に「良きに計らえ」で済ませられた時代は、すでに終わっていたのである。これからはチェアマン自らが最前線に立ち、自らの責任をもって決断しなければならない。 そんな混迷の時代に、Jリーグは突入していくこととなる。 ※次回連載は3月8日(金)に公開予定 (本記事は集英社インターナショナル刊の書籍『異端のチェアマン』より一部転載) <了>