Jリーグ開幕から20年を経て泥沼に陥った混迷時代。ビジネスマン村井満が必要とされた理由
昨年30周年の節目を迎えたJリーグ。その組織面や経営面でのガバナンスは、村井満チェアマン時代の2014年から2022年までの8年間で劇的に強化された。その結果、切迫した財務面の問題は解消され、コロナ禍のリーグ崩壊の危機を乗り越え、Jリーグのパブリックイメージそのものが大きく変わることとなった。そこで本稿では書籍『異端のチェアマン』の抜粋を通して、リーグ崩壊の危機に立ち向かった第5代Jリーグチェアマン・村井満の組織改革に迫る。今回はJリーグ村井体制の発足前夜、ビジネスマン村井のチェアマン就任が求められた背景について。 (文=宇都宮徹壱、写真=松岡健三郎/アフロ)
「当時のJリーグ本体にはカネがなかった」
村井満の前任者である大東和美が、Jリーグチェアマンの任にあったのは、2010年から14年まで。就任2年目の2011年には、東日本大震災によるリーグ戦の中断があり、さらに2年後の13年はJリーグ開幕20周年の記念事業が相次いだ。 そして2012年から、専務理事の中野幸夫と共に大東を支えていたのが、大河正明と中西大介というふたりの理事。このうち財務面を担ってきた大河は、チェアマンとしての大東をこう評している。 「ご自身が先頭に立って、何かを決断するという感じではなかったですね。大東さんの時代は、僕なり中西なりが実務的なところで動いて、それが機能していました。そういう意味では、上手く前に進んでいたのは確かなんです。けれども残念ながら、当時のJリーグ本体にはカネがなかった」 大河がいう「当時」とは、Jリーグが20周年を迎えた2013年を指す。ここで少し長くなるが、驚くほどに危機的だった、当時のJリーグの台所状況を解説しておきたい。これを理解しておかないと、Jリーグが「異端のチェアマン」を受け入れざるを得なかった背景が見えてこないからだ。
「博報堂さん1社では無理という話になって、新たに電通さんにも…」
まず、収入について確認しておく。 Jリーグに加盟する、クラブの主な収入源は、パートナー(スポンサー)企業による協賛金、入場料、物販、そしてリーグからの配分金。これに対してJリーグは、加盟クラブから支払われる会費、放映権料、そしてパートナー企業からの協賛金の3本柱である。 加盟クラブの数は年々増加していたが、増えれば増えるだけ1クラブ当たりの配分金は目減りする。放映権料については、J1・J2の全試合を中継するスカパー!を中心に、NHKとTBSを加えた3社で5年契約。年間50億円ほどの収入があった。再び、大河。 「放映権については、地上波での放送はほとんどない状態。当時はCSのスカパー!さんと5年契約を結んでいて、(放映権料は)減ることはないけれど増えることもありませんでした」 問題は、協賛金。これまで看板などの広告枠は、開幕前から伴走してきた広告代理店の博報堂が販売権を独占し、Jリーグとミニマムギャランティ契約を結んでいた。ミニマムギャランティ契約とは、広告枠が埋まらなくても最低限の金額を保証するというもので、実質的に博報堂が赤字を補填する状態が続いていた。 この契約が、2013年に見直されることになったと、大河は語る。 「それまで博報堂さんとは、40億円くらいでミニマムギャランティ契約を結んでいました。それが博報堂さん1社では無理という話になって、新たに電通さんにも入ってもらったんだけど、それでも広告枠を埋めることはできなかったんですね。クラブの数も増える一方で、これは配分金をカットするしかない、というくらいの厳しい状況でした」