「家庭的で育ちがよい=結婚相手」としか見られない…恋愛相手として見て欲しいのに複雑な心境です
「嫌だと思うこと」は自分の人生の指針になる
「結婚相手としか見られない」と題する社会人3年目の女性からの投稿が、掲示板サイト「発言小町」に寄せられました。社会人になってから、結婚を見据えての恋愛感情を持たれることが多くなった、というトピ主さん。アプローチしてくる男性たちに「家庭的そう」「育ちがよさそう」といった理由だけで選ばれている気がしてしまい、複雑な気持ちになるとのこと。「どうすれば、結婚相手ではなく恋愛相手として魅力的に見てもらえるのでしょうか?」と問いかけています。 投稿によれば、トピ主さんは、取得した資格や学歴、実家の場所、料理スキル、コミュニケーション力、人脈などには恵まれている方だと自覚していて、「少なくともマイナスにはなるような背景はない」とのこと。飲み会では無理な飲み方をしないし、ずっと続けている趣味は料理などのインドア系が多いそうですね。しかし、料理上手であることを男性に言うと、「ご飯を作ってくれそう、尽くしてくれそう」などと思われそうで、最近はインドアなタイプだと開示することに抵抗を感じてしまう、といった記述も見られます。 確かに、家庭的な生活スタイルで、育った環境も申し分ない、人付き合いも適度にできるとなれば、多くの男性から結婚相手として望まれそうな人物という印象を受けます。資格、学歴、人脈などはトピ主さん自身が努力して得たものでしょうが、実家や趣味、生活スタイルなどは望むと望まざるとにかかわらず、自然に与えられたという感覚なのでしょう。 恵まれているからこその悩みとも言えますが、恋愛において、こうした悩みを抱える人は、男女問わず一定数いるように思います。たとえば、たくさんお金を稼ぐ人や、容姿が優れている人は、そこだけを見て言い寄ってくる人が少なくないといいますし、芸能人など人気職業の人は“有名人の恋人”というステータスを求める人からアプローチされることがあると聞きます。 「モテている理由がなんであれ気にしない」という人の場合は問題にならないのですが、「自分の内面を見てほしい」「別に自分じゃなくても、似たような人でも良いのでは?」などと思う人にとっては、深刻な悩みとなるケースがあるようです。 トピ主さんも、まさにこのタイプなのでしょう。「結婚はしたいのですが、この年代で付き合うとなると多少はこのように打算的になってもしょうがないのでしょうか」という記述からは、打算的な結婚はできればしたくないと思っていることがうかがえます。 嫌だなと思うことは、「嫌じゃないものを求めればいい」という自分の人生の指針の一つになります。トピ主さんは打算的な結婚はしたくないし、自分の内面を見てくれる人が現れることを望んでいる。この点をしっかり心にとどめ、今後のパートナー探しの最重要項目としていくのが最善かと思います。