工藤公康“ソフトバンク2年目”に起きていた事件「監督、あれはマズいですよ」優勝逃した“チームの予兆”「私が間違っていた」名将が泣いた日
2015年から7年間、監督としてソフトバンクを率いた工藤公康。3度のリーグ優勝と5度の⽇本⼀という“黄金期”をなぜ築けたのか? 「私の失敗でした」。監督2年目に起きた“ある事件”とは? 工藤公康がNumberWebインタビューで明かした「プロ野球監督のウラ側」。【全2回の2回目】 【超レア写真】工藤公康と美しき夫人の“2ショット”…幼い長男の姿も。「若い頃ソックリ?」イケメン俳優の長男、活躍するプロゴルファーの長女。「幼少期の兄弟との家族写真」から清原和博にビールかけられる名シーンまで…一気に見る ◆◆◆ 工藤公康氏は選手で実働29年、監督として7年間ユニフォームを着た。選手時代と監督とでは1年の重みの感じ方が全く違ったという。
監督2年目の事件「私の失敗でした」
選手の頃はチームが優勝を逃したとしても「来年こそは」と前を向いて比較的早めに気持ちを切り替えることができた。だが監督は、選手やコーチやスタッフ、そしてその家族も含めた生活や人生を預かる立場だ。自身の契約年数など関係なく、1年1年が勝負だった。 「勝利への思いも一投一打への執着も、ファンの皆さんからの声援さえも、現役の頃とはまるで感じ方が変わりました」 そのような思いがあるからこそ、監督2年目だった2016年の出来事は決して忘れることがない。 「私の失敗でした」 あの日も、工藤はいつものように球場に早く現れた。選手たちの様子を見ておきたかったからだ。データ確認やファームの試合のチェックなどがなければ、グラウンドでランニングをするのが日課だった。たっぷり汗をかいた頃、早出特打の選手たちが姿を見せ始める。その中に直近の試合で結果が芳しくないと感じていた選手の顔を見つけることができなかったのだ。 工藤はその後、その選手に対して「なんで練習に来ないんだ?」と責めるように言った。ただ、じつはその選手は、試合に向けたケアとコンディショニングを優先し、その時間を自らの準備にあてていたのである。 監督がこんなことを言っていた――選手間でそんな話が回るのはあっという間だ。
選手の指摘「監督、あれはマズいですよ」
1人の選手から「監督、あれはマズいですよ」と指摘された。事の重大さに気づき、その選手には直接謝罪をした。思えばこれは、あくまで1つの事例に過ぎず、監督になってからというもの、選手や周りに対して、一方通行のコミュニケーションになっていたのかもしれない。選手との間には溝が生まれていた。このシーズンも一時11.5ゲーム差をつけて首位に立ち楽勝に思えたのが、ベンチの雰囲気がまとまらないまま、夏場以降に失速してまさかまさかの大逆転V逸を喫したのである。 「監督になって最初の年にリーグ優勝して日本一にもなって、ある意味で勘違いをしてしまったというか、周りからも調子に乗っているように見えたと思います。背景も知らずにあのような発言をしてしまったりして、選手を傷つけてしまった。そんな監督に選手がついてくるはずありません。私が間違っていました。自分自身が変わらなきゃいけないと強く思いました」
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