工藤公康“ソフトバンク2年目”に起きていた事件「監督、あれはマズいですよ」優勝逃した“チームの予兆”「私が間違っていた」名将が泣いた日
「投手は監督になって苦労する」は本当か?
ただ、コーチの指導にしてもトレーナーの件にしてもすべてが事後報告で回るわけではないし、最終的な決断は監督が下すものだと決めていた。そこには責任が伴う。 「責任を負う。それが本当の監督の仕事です。正直、現役時代はそのようなところまで監督が考えなきゃいけないとは知りませんでした。私はピッチャーで、しかも先発でしたから。チームが勝つためのことは考えるけど、あとは自分のコンディショニングを優先して日々練習をする。試合で投げるのは週に1度なので、ベンチに入るのも登板日だけ。そうなるとベンチで何が起きているとか、チームの雰囲気が意外と分からないんですね。後で聞いてもその場にいないので、実際のところは分からない。そんな背景もあって昔は、ピッチャー出身は監督になって苦労する、と言われてましたよね」
「失敗は人間を成長させる」
屈辱的なV逸の翌年、2017年のソフトバンクは圧倒的な強さを見せて現在もパ・リーグ最速として記録が残る9月16日に優勝を決めた。工藤は優勝監督インタビューで涙を流した。「野球人生でこんなに感動して泣いたのは初めてでした」。そのように振り返り、2021年に監督を退任する際の会見の時にも「2017年に選手と一緒に勝てたのは印象に残っています」と語っていた。 「あの2016年の出来事は今でも申し訳なかったと思っています。ただ、あの経験をしなければ、私は今もめちゃくちゃなことを言ったりしていたかもしれません。失敗は人間を成長させるチャンスでもあります。失敗をどう生かすのかが大切なのです」 現在はプロ野球解説の仕事をはじめ講演活動や全国各地での野球教室を⾏いながら、筑波⼤学⼤学院博⼠課程でスポーツ医学博士取得に向け研究や検診活動にも取り組んでいる。グラウンドを離れた中で多岐にわたる野球界への恩返しを精力的に行っているが、様々な球団ファンからの“監督再登板”の待望論は絶えない。 工藤は選手、監督で合わせて16度の日本一を経験している。この数字はじつにプロ野球歴代2位。トップは西武時代の恩師でもある森祗晶氏の17度だ。どこかの球団のユニフォームでそれを塗り替えてくれるのではないか。その期待は当然大きいはずだ。
(「野球のぼせもん」田尻耕太郎 = 文)
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