工藤公康“ソフトバンク2年目”に起きていた事件「監督、あれはマズいですよ」優勝逃した“チームの予兆”「私が間違っていた」名将が泣いた日
「監督の仕事」とは何か?
選手たちとの接し方や話し方が自分主導になり、起こったことにすぐ反応して言葉に出してしまっていたのではないか。選手だけでなくコーチやスタッフに対してもどうだったか。自身の言動を顧みて熟考すると、徐々に自分のすべき道筋が見えてきた。 「監督の仕事とは何か。以前は監督がみんなに指示をして、その通りにチームが動くというイメージを持っていました。しかし、そればかりだと自分の考えの押しつけになってしまいます。まずは相手の話を聞くこと。例えばコーチから練習方法などの提案があったら、否定せずに『まずやってみよう』と返すようにしました。最初は相手もびっくりしていましたよ。本当にいいんですか、と聞き返されるものだから『まずやってみないと判断がつかないからね』と話す。そこから始めました。もし、上手くいかなくても話し合いながら変えていく。今まで“押しつけ”だったのが“提案”に変わるわけです。失敗を許容する。それを意識しました。ただ、自分自身をすぐに変えることができたわけではなく徐々に、徐々に、ですね。3年……いやもっと時間はかかったと思いますし、最後まで完ぺきにやれたとも思っていませんが」
“トレーナー”との関係…なぜ大切?
また、工藤が特に神経を注いだのは球団トレーナーとの関係構築だったという。なぜ監督とトレーナーなのか。まずはプロ野球の舞台裏を説明した方がいいだろう。 選手は試合に出たいと考える。だから多少の痛みや怪我を隠すために、首脳陣にばれないようにこっそりとトレーナー室に行き無理やりでも体を整えてもらって、何食わぬ顔で試合に出ようとするのだ。そして選手は決まってトレーナーに「監督やコーチには黙っていてください」とお願いをする。令和の世の中になっても、厳しいプロの世界を生き抜くためにそれくらいの覚悟で戦っている選手は多い。 「選手ってマッサージしてもらいながら愚痴を言うんですよ」と笑うように、工藤も当然ながら、選手の気持ちや実情は理解している。とはいえ、長い目で選手の野球人生を考えた時にそれが正しいのか。そして本当にチームのためになるのかと思いを巡らすと、そのまま放っておくわけにはいかなかった。 「そうやって試合に出て、結果的に上手くいくケースもあります。でも、逆の方が多いのです。パフォーマンスが落ちるだけでなく、長引くような大きな怪我を引き起こすこともあります」 どうやって試合に出るのを制止するか。単にメンバーから外したりファーム落ちさせたりすると、選手はトレーナーに「なんで喋ったんですか」と詰め寄って互いの信頼関係を壊しかねない。だから工藤はトレーナーに権限を与えた。選手も専門家であるトレーナーに「これは無理だよ」と言われれば納得もできる。それをチーム内の決まり事にして共通認識を持たせた。
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