「くやしいか」と問いながら……「虎に翼」で話題「尊属殺人罪」5人の子を産まされた娘はなぜ実父の首を締め続けたのか
現在放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』。その第68回で、1950年時、尊属殺人の重罰規定につき、最高裁判事が違憲性を主張したことに触れるシーンがあった。 【写真】当時の雑誌記事にはおどろおどろしい言葉が並んだ 当時の刑法第200条には尊属殺人についてこう定められていた。「自己又は配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑又は無期懲役に処す」……目上の親族を殺害することは単なる殺人と比べて重罪だったのである。
ところが1973年4月、最高裁大法廷はこれが「法の下の平等」を定めた憲法第14条に反するという違憲判決を下す。日本で初めて最高裁が法令に違憲判決を下した瞬間だった。判決のきっかけとなったのは、1968年10月5日の夜に起こった、実の父親に長年しいたげられていた娘(当時29歳)による尊属殺人事件だった。 前編では、栃木県に住むA子が14歳の年から実父に度重なる乱暴を受け、脱出を図るもかなわず、妊娠、出産するまでを記した。後編ではA子が実父に手をかけるまでの経緯と、その後に下された画期的な判決について述べる。 【高橋ユキ/ノンフィクションライター】【前後編の後編】 ***
初めての恋
繰り返される父親からの乱暴の果てに、5人の子を産まされたA子。うち2人は死んだが、一番下の子も幼稚園に入園し、手間のかからない年頃となったことから、家計を助けるため印刷工場に勤め始める。他人と接しながら働くようになったA子の心の中には、技術工として入社してきた7歳年下のBさんとの出会いによって変化が起こり始めていた。 《最初は単なる工員どうしの付合いで特に親しくしていたわけではありませんが、日がたつにつれ、お互いに好意を持つようになりました。Bさんの顔をみるのを楽しみに、それまでより若造りの服装をして工場に通っていましたが、現在の自分の境遇を振り返りBさんと結婚したいなどという気持は全然持っていませんでした。 ただ、私の初めての恋だったのです》(A子の調書。以下《》内同) 工場から駅まで一緒に帰ったり、バスの待ち時間があるときは駅前の喫茶店でお互いにコーヒーを飲みながら、身の上話などもするようになった。実の父から性暴力を受け続け、あきらめの境地にいたA子の心は、恋心により少しずつあたためられていく。学生のような清くぎこちない交流が続く中、BさんはA子に結婚を申し込んだ。 このときA子は29歳。5人の子を産んだ後も、四度の中絶手術を受けていた。四度目に医師から“このように中絶をしていると体がもたないから、手術して妊娠しないようにしたほうがよい”と言われ、不妊手術を受けたのだった。無論、全員が父親との間にできた子である。 「A子さんには家庭がありこどももいることを知っていましたが、そんなことは問題でなく好きになってしまったのです。ただA子さんが実の父親と関係があり、こどもも父親との間にできたものだとは、まったく知りませんでした」と、全てが明るみになったあと、Bさんは供述している。