能登大地震で「大切なものが失われてしまう…」 ある輪島塗職人の“復興”と“奮闘”
今年の能登大地震では、三~四千年ぶりに輪島の海岸が大きく隆起したという。実は能登半島というのは、こうやって何百万年もかけて地震での隆起を繰り返し、水面下の土地が海上に頭を出して生まれた土地である。植物プランクトンの外殻の化石が海底に堆積して珪藻土となり、隆起し、ゆえに輪島の土地は珪藻土の名産地となっている。この珪藻土を加工してパウダー状にした「地の粉」を漆に練り込んで、そして塗られているのが、輪島塗である。 【写真】震災によって貴重な「漆」が流れ落ちてしまった… ほか
珪藻土を練り込むと、何がいいのか? 強度が増すのである。そして珪藻土には細かな空洞があるので、熱の伝導を和らげる。土台であるくり抜かれた木の歪みを防ぐのである。 この珪藻土を漆に練り込む、ということを室町時代に、輪島で誰かが発見した。 どうだろうか。ただ単に輪島で塗っているから輪島塗ではない。輪島だからこそ生まれた輪島塗なのである。
専門の職人による共同作業
そうしてもうひとつの輪島塗の特徴は、幾つもの工程ごとにそれぞれ専門の職人がいて、共同作業で完成するということだ。例えば、一つのお椀を作るにしても、 ボディを作る木地師(この中にも挽物、指物、曲物、刳物とそれぞれ専門の職人がいるのだが) ↓ 下地を塗る職人(そしてこの中にも丸物、角物、座卓など大物、茶道具などそれぞれ専門の職人がいるのだが) ↓ 研ぐ職人 ↓ 上塗りの職人 ↓ 沈金など加飾の職人 と次々に工程ごとに職人の手に渡って完成されてゆく。 このどの工程ひとつ抜けても輪島塗の完成品にはならないのである。 陶芸家のように土を捏ねるところから、ろくろに釉薬、焼成まで一人で全てやればいいんじゃない? と思ったなら想像してみてほしい。ひとつひとつの工程が極められ、次、次と職人の手に渡って仕上げられたお椀は、到底一人の力では作り得ないものである。個人の力を超えたところへ、輪島塗は連れて行ってくれるのだ。
「赤木さんが素敵だからです!」
今年の大地震で、何人もの輪島塗の職人たちが輪島を去った。輪島を去っても仕事を続けていたり、しかしやめてしまった人もいる。これから輪島塗はどうなってしまうのだろうか。それを知りたくて、塗師の赤木明登さん(62)の工房を訪ねた。赤木さんの工房は、能登半島が東にぐっとくの字に曲がるところの山の中に位置する、輪島市の三井町内屋にある。 元日の地震直後、赤木さんは弟子たちを連れてすぐに工房を金沢市に移し、電気と水道が通い始めた4月に輪島に戻ってきた。9月には追い打ちをかけるような豪雨の被害。沈んだ空気が漂っているのではないかと覚悟して訪れた工房では、4人の若い女性と、赤木さんと同年代の男性、という5人のお弟子さんたちがコツコツと仕事をしていた。 「どうしてこの工房に弟子入りしようと思ったのですか?」 そう聞いてみた。すると一人の弟子が恥ずかしそうに、しかししっかりと、 「赤木さんが素敵だからです!」 と答えた。工房の中が笑いでワッと沸いた。 辺りに一気に花が咲いたようだった。 そして私が輪島塗についてあれこれ赤木さんに尋ねると、弟子の誰かがその話題に上がっている素材を棚からサッと出して見せてくれる。工房がいかに上手く一体感を持って回っているのかを、こういうことが言葉以上に語ってくれる。