借金100億円、創業者が病に倒れた工場は大ピンチ ドラマのような奇跡の復活を果たした女性社長の歩み
地方都市の工場は、100億円という莫大な借金を抱えていた。巨額の設備投資をした上、自社にしか作れない高価値の製品を安い価格で売り続けていた。会社のピンチに加え、創業者が病で倒れる状況から、わずか数年で奇跡の復活を遂げた平鍛造株式会社(石川県羽咋市)。経営再建の立役者となった、創業者の娘・平美都江氏(68)に、ドラマのような波乱万丈の事業承継について聞いた。 【動画】なぜ事業承継が大切なのか専門家に聞いた。
◆倒産目前の会社を助けるため、大学を中退
----幼いころは家業をどのように見ていたのでしょうか? 私が小学校3~4年生のときに、父が東京で鍛造の会社を創業し、6年生のときに石川県羽咋市へ移転して平鍛造をつくりました。 どちらも工場の横に自宅があったので、幼いころから仕事の様子を見て育ちました。 真っ赤に加熱した鉄を叩いて加工しているのを見るのが好きで、「面白い仕事だな」と思っていました。 ただ、私には弟がおり、父も昭和一桁生まれの古風な人でしたので、私が家業を継いだり、社長になったりすることは想定していませんでした。 ちなみに「鍛造」は、金属に圧力を加えて強度を高めて加工する技術で、金属を溶かして固める鋳造より強度があります。 弊社は、エンジンやモーターに使うベアリングという部品をメインになっています。 ----なぜ入社することになったのでしょうか? 私が大学2年のときに父が胃がん、母が甲状腺の病気を患いました。 当時のがんは亡くなる確率が高い病気でしたし、叔父も亡くなっていました。 弟はまだ高校生だったため、私が何とか手伝えることがあればという考えで入社しました。 最初は現場からスタートしました。 当時の平鍛造は、従業員が140人ほど所属しており、石川の羽咋市では大きめの中小企業でした。 でも、毎年のように赤字で、いつ倒産してもおかしくない状態でした。 ライバル会社に負けないように、父が業界最大級の4メーターまでの鍛造設備導入に躍起になっていたのです。 総重量が7トンくらいになるので基礎工事もしっかりしないといけません。 さらには大型のリフトやローリング、プレスなど、さまざまな投資が必要でした。 ライバル会社に設備投資で負けると、仕事を失うので仕方なかったとは思います。 でも、当時はバブル期前で「金利8%」の時代だったので、元金を返せる状況ではなくなりました。 銀行がもう貸せないって言うくらいまで借りて、累積赤字は最大で100億円ありました。