借金100億円、創業者が病に倒れた工場は大ピンチ ドラマのような奇跡の復活を果たした女性社長の歩み
◆意地悪をされたけど、必死で乗りこえる
----鍛造は男社会のイメージがありますが、社長の娘である若い平さんが現場に入り、周囲はどのような反応だったでしょうか? 現場は重い重量物を持つので男性が多いのですが、炉の蓋の開閉や、機械掃除の補助などは、主に中高年の女性が担当していました。 鉄粉で真っ黒になるような現場にも女性を起用していました。 ただ、従業員からは意地悪もされました。 金型を隠されたりして仕事ができないようにされたり。 父に報告したら、さらに別の意地悪をされるのではと考えると、言えませんでした。 だから、できる仕事に最善を尽くして一つひとつこなしていました。 ----現場の従業員からどのようにして認めてもらったのでしょうか? 鍛造はチームワークが重要なので、いかに周囲の先輩たちに認められるか、信頼してもらえるかが大事です。 腰掛的に現場仕事をやっているのではなく、一人前のメンバーになるため技術を習得しようとする姿勢を周りに見せる必要がありました。 とくに機械をメンテナンスする際は率先して動きましたね。 機械にべっとり付いたグリスを掃除すると、作業服の中にも冷たいグリスが入ってきます。 メンテナンスの日は鍛造の炉に火を入れないので現場は寒く、掃除をしていると体中が冷えて、言葉も話せなくなるほどでした。 必死で作業を続けているうちに、興味本位でやっているんじゃないんだと周りが認めてくれるようになり、だんだんと話をしてくれるようになりました。 2代目や3代目が会社に入るとき、口だけで「みんなと同じにやっていく」と言うだけではだめなんです。 「率先してやっていく」という姿を体で見せないと、従業員の信頼を得ることはできません。
◆100億円の借金、どうやって返した
----100億円の借金はどうなったのでしょうか? 銀行からの融資が受けられなくなり、父は毎月のように「今月で倒産する」と騒いでいました。 そこで私は、会社の帳簿をつぶさに見直して、財務関係を分析したわけです。 原価計算はもちろん、商品の市場調査などを調べていくと、圧倒的にシェアナンバー1の鍛造リングをすごく安く売っていることがわかりました。 つまり、弊社しかできない価値のある鍛造リングを、一般的なリングと同じように一律キロ60円とかで売るという、非常にもったいないことをしていました。 明日にでも倒産するような状況なので、すぐ父と弟に値上げを提案しました。 最初、二人は値上げを渋っていたのですが、私一人で交渉することで話がまとまり、すぐに取り引き先に行きました。 交渉は不安でしたが、ちょうどバブル直前で景気が良かったこともあり、どの取引先もすんなり値上げしてくれました。 その後、バブル期になりさらに発注が増え、100億円の借金はあっという間に返済できました。 それだけ日本の景気が良かったし、値上げのタイミングも絶妙だったということでしょう。 ただ、これは私だけの功績ではありません。 弊社が圧倒的なシェアを取るまで、安価な値段で売っていたから値上げ交渉が成功したのです。 元をたどれば、圧倒的なシェアの商品を作るため、無理をして設備投資をした父のおかげでもあります。 会社経営は、父の病気もあったため、弟が大学進学を諦めて社長を引き継ぎました。 私がサポートする役目でしたが、どこのオーナー企業でも仲良くやっていけるファミリーもあれば、そうでない場合があります。 当時の私は、弟が社長になったら一緒にやるのは無理だなと思ったので、ファイナンシャルプランナーと宅建の資格を取って、さらに税理士になるため専門学校に通うことにしました。 でも、専門学校に通って2年目に、弟が事故にあったことを知らせる電話がかかってきたのです。