フレデリック 夢は武道館、ワールド記念ホールワンマンで両親に幸せ倍返し
似てない双子、三原健司(Vo.&Gt.)と三原康司(Ba.&Cho.)、そして赤頭隆児(Gt.&Cho.)の神戸出身3人組バンド、フレデリック。メジャーデビューから2年を迎え、人気、実力ともに上昇気流にのり、「今年来るバンド」として注目されている。 その個性あふれる楽曲群は「忘れさせてくれない」「中毒性がある」と話題となり、きゃりーぱみゅぱみゅやSEKAI NO OWARIのNakajinをはじめ、国内のトップアーティストたちがこぞって彼らの楽曲がお気に入りだと表明している。 今まで聴いたことのない、見たことのない、独特の感性と世界観のイメージが先行する彼らだが、インディーズ時代から観客の声がダイレクトに伝わってくるライブハウスで腕を磨いてきた実力派でもある。 そんなフレデリックの音楽の原点と新曲に対する想い、そして胸に抱く野望について語ってもらった。
フレデリックの音楽の原点は?
ミュージックビデオやCDジャケットのイメージとはかけ離れた印象はないフレデリックの3人だが、実際目の前に坐してみると、飾らない言葉で言うならば、音楽や世間一般に対して謙虚で真面目な青年たちだった。特別なのに特異さを感じさせない彼らの音楽の原点はどこにあるのだろうか? 3人それぞれにたずねてみた。 赤頭「高校のとき、友達のコピーバンドのギターが足らなくなって、誘われたのがバンドとしては初めて。僕は誰かに憧れて始めましたっていうカッコいい感じの理由じゃなくて(笑)。最初はけっこう人数合わせみたいなそんなきっかけでした。もともとは、お母さんが昔、フォークギターをやっとったみたいで、買わんでもあるギターで練習しとって、そっから始めたんですかね。始めたころはジャパハリネットとかそういうバンドの曲をやってましたね」 3人の中では唯一の”赤の他人”、赤頭はクールさと程よいユルさが印象的。大きいことは言わないが、自然といつの間にか課題をクリアしてしまうタイプなのかもしれない。専門学校時代に三原兄弟がバンドのメンバーを募集していたところ、同じ専門学校にいた赤頭がメールで応募したというエピソードはいかにも彼らしい。 双子の兄、三原健司は中学生時代は、バリバリの体育会系男子だったという。 三原(健)「中学校のとき陸上一筋で部活にも所属してました。弟の康司は中学のときに音楽を始めて、文化祭のときライブするのを僕はお客さんとして見ていたんですよ。その時、音楽で何かを表現するのっておもしろいことなんだな、見ててすごい楽しそうやな、と思って。小学校のときから、テレビとかで音楽は聴いてたんですけど、ライブを目の前で見るってなかなかなくて、初めて見たときに自分も音楽に興味を持って観たいなと思って、歌うことはカラオケでもしてたんで、高校に入ったらギターとボーカル始めてみようと思ったのが始めですかね」 一方、弟、三原康司は文化系。 三原(康)「中2のときに軽音部があって、見学しに行ったのが始まり。健司とは双子だけど、やれることが違って、僕は体育会系のことはできなくて、健司よりはできたのが音楽だったこともあって、自分はそこを磨きたいなと思って。きっかけは健司に対する意識だったんですね」 二人はいい兄弟でもあり、いいライバルでもあり、小さいときからいい意味で刺激しあってきた。