米大統領選介入が成功した理由:2016年、ロシアはトランプ勝利と「分断」も狙った
米政府の変化に気付かなかった佐藤栄作
また米軍の軍政下の沖縄で、1965年と1968年の少なくとも2回の琉球立法院選挙と1968年の琉球政府行政主席公選の計3回、CIAは保守派に資金を提供した。 琉球立法院選挙では米国側の望む結果が出た。しかし初の主席公選では、CIAの介入にもかかわらず、野党統一候補・屋良朝苗が勝利したため、米政府はショックを受けた。 屋良勝利の翌日1968年11月11日に、米国家安全保障会議(NSC)スタッフが大統領補佐官あてに提出した分析メモは「屋良勝利から、返還をスピードアップする、としか読み取れない」との結論を出した。 反対に佐藤栄作首相は「復帰問題は一寸むつかしくなるか」(『佐藤栄作日記』)と予測した。民意の動向に注意を払わなかった佐藤は米政府の変化にも気付かなかった。現実には、翌年1月政権に就いたリチャード・ニクソン大統領は沖縄返還へ向けて乗り出すため舵を切った。 沖縄と本土の保守派政治家の間のこのような認識ギャップは、今も続いているとみられる。米軍の軍政に苦しんだ沖縄県民の苦労が本土ではほとんど理解されていないのだ。
デジタル化で初めて米選挙介入に成功したロシア
大国による外国選挙への介入自体は、古くから繰り返されてきたが、 ロシアが2016年米国大統領選挙への介入で成功したのは、IT・デジタル化が進んだ現代でこそ、と言える。SNSやメールで米国民一人ひとりを相手にした工作ができるようになったので、初めて為せた結果だった。 現在、米 NSCロシア担当部長を務めるデービッド・シャイマー氏は自著『謀られて(Rigged)』で興味深い歴史的事実を紹介している。 旧ソ連は1960年から1984年の間、1960年大統領選のニクソン候補を第1号に、「脅威と見た大統領候補を潰そうとした」という。 ニキータ・フルシチョフはニクソンを「攻撃的な反ソ・反共」主義者と恐れた。これを受けてソ連国家保安委員会(KGB)が工作に乗り出した。1958~1970年に米国に 駐在したKGB工作員オレグ・カルーギン氏(現在ワシントン郊外に在住)によると、KGBは対立候補のジョン・F・ケネディが勝利するようさまざまなプロパガンダ作戦を行ったという。結局ケネディ勝利となったが、作戦の効果は不明なままだったと述べている。 その後もソ連は、好ましくないとみた大統領候補に関して謀略情報などを流す工作を繰り返した。しかしインターネットもないアナログの時代に、そうした情報を多くの米国民に届ける方法はなかった。デジタル化の時代となりプーチン政権下で、ロシアは初めて米国への選挙介入で成功したようだ。 ただ、IRAのアカウントに何が書き込まれていて、どの程度効果的だったのか。アカウントは今や消えており、そうした詳細な分析もできない。
国際アナリスト 春名幹男