「沖縄県民斯ク戦ヘリ」 沖縄・豊見城の旧海軍司令部壕で慰霊祭
先の大戦末期の沖縄戦で、沖縄県民の協力と支援をたたえ、その窮状を訴えた電文を発信した旧海軍の大田実司令官ら幹部が自決してから79年。豊見城市の司令部壕で13日、慰霊祭が営まれ、約150人が参列した。 【写真】大田実司令官が海軍次官に宛てた電文が刻まれている「仁愛之碑」 沖縄戦で米軍の猛攻に耐え、持久戦を想定してつくられた司令部壕では一時、約4000人の兵士が立てこもって徹底抗戦したが、司令官だった大田実中将は昭和20年6月13日、壕内で将校らと命を絶った。 大田中将は自決前の6月6日、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と海軍次官に打電し、県民を思う気持ちを最後まで失わず、戦場の悲惨さと沖縄県民が勇敢に戦った様子を訴えた。 施設を管理する沖縄観光コンベンションビューローの下地芳郎会長は「電文に込められた思いと実相は、この壕とともに今を生きる私たちが次世代へと語り継いでいかなければならない」と追悼。大田中将の孫の大田聡さん(63)=広島市=は「祖父は現状を看過できず、忍び難いと打電した。二度と戦争を起こさないことを願う」と語った。