引退試合で同点2ラン“ロッテ次期監督”井口資仁がセレモニーで所信演説
実は、筆者の引退記念インタビューに井口は、「引退試合では全打席ホームランを狙う。それも僕らしいスイングで。引っ張りではなく右方向へ」と、予告していた。 ずっと野球ノートをつけ、カレンダーに印を打ちながら、明確な目標を設定して、その目標に到達するための手法を考え、練習という名の地道で苦しい努力を怠らない。それをブレずに貫いたことが井口が日米で21年間、第一線でプレーを続けることのできた理由だった。試合後の会見で、野球人としてのモットーを聞かれ、「目標設定を明確にして努力すること」と答えた。 しかし、その目標設定が日米通算2000本安打を達成した後からハッキリと描けなくなってきた。 バックスクリーンへの一撃を見せられると、打たれた増井でなくとも、まだまだできると思わざるをえないが、気力も体力も技術もある井口が、ここでユニホームを脱ぐ決意を決めたのは、目標設定が不透明になったからに他ならない。 今年は開幕前から引退を決めて入ったシーズン。チームも絶不調で最下位を低迷し、なおさらモチベーションを抱きにくく、カツを入れるために6月下旬に今季限りの引退を公表したが、チーム状態は変わらず「来年いない僕よりも若い選手を使って欲しい」と8月下旬には自ら登録抹消を申し入れた。だが、引退試合が決まってから、皮肉なもので「全打席、自分らしいスイングでホームランを狙う」という目標を設定することができた。川越2軍投手コーチにバッティング投手を務めてもらい、納得がいくまで打ち込んだ。 「2軍で、あの打球方向、自分らしい打球を追い求めてきた。思い残すことはない。1か月ファームでしっかり打ち込んた結果が出た。まだまだやれると思う気持ちの反面、すっきりした」 試合前、「1か月も1軍の実戦を離れているので打つのは簡単じゃないだろう。勝負もかかっている真剣勝負なので6番にした」と語っていた伊東監督も、そのインパクトのある一発に脱帽。「役者が違うね。二軍で調整していて、この引退試合に合わせてくるんだから」と驚愕したが、目標を決めて、努力でそれを成就させてみせるという、井口の21年間の夢の縮図を引退試合で鮮やかに見せたことになる。 ダイエー時代、史上初となる満塁本塁打デビューでスタートした野球人生が、日米通算295本目のアーチ(NPBではダイエー、ロッテを通じて251本目)で終わるのも井口らしい。 満塁本塁打デビューで勘違いした打撃を金森栄治打撃コーチの理論に出会ったことで、再び右方向へ打つ学生時代の打撃に戻し、目標設定を盗塁王に置き、2度タイトルを取った。2001年の30本塁打40盗塁は、史上3人目の快挙である。二塁コンバートに成功すると、今度は、メジャーへの挑戦に目標を設定した。 「スマート・ベースボール」を標榜したホワイトソックスのオジー・ギーエン監督の野球を遂行して、日本人内野手として初のワールドチャンピオンに。 この日、シカゴからビデオメッセージを送ってくれたギーエン元監督は、「あなたは私の好きな選手の一人。世界一になった2005年に私はメディアにチームMVPは井口だと言いました」と、当時を振り返り、チームのオーナーであるジェリー・ラインズドルフ氏は、「地区シリーズでのレッドソックス戦での逆転3ランが結果的にワールドシリーズ制覇につながる殊勲の一打になった」とのコメントを寄せた。