韓国社会を理解するキーワード「オグラダ」 日本人は韓国文学から読み取れるか 澤田克己
韓国人は軍事政権と戦って民主化を実現した成功体験があるから、社会に対する異議申し立てに今でも積極的なのだと説明されることが多い。そうした面があるのは否定しないが、それよりもオグラダという感覚、別の言い方をするならば「あるべき正しい姿」になっていない現実に対する憤りが、自己主張の強さにつながっていると考える方が筆者にはしっくりくる。今回のテーマから外れるので深入りはしないが、近年の日韓外交の難しさにもつながってくる概念である。 ◇日本の読者も引き付ける言葉 前述した小山内さんの著書は表題に掲げた「弱さ」を「自らの意思とは関係なく、選択肢を奪われている立場」と規定する。小山内さんは、「弱さ」を描いた作品には直視したくない不都合な現実が収められていると指摘しつつ「韓国現代文学は、そこから目を逸らさず、弱くある自由を叫ぶ。その態度は、『正しさ』や『公平さ』という言葉に置き換えられるかもしれません」と記すのだが、それこそがオグラダにつながるものだろう。 実は、斎藤さんもオグラダの翻訳には苦労するらしく、文脈に合わせて「悲しく、つらい、許せない、耐えられない」などと訳し分けるという。斎藤さんは「オグラダはプリズムのような多面体。それをオグラダというひと言で受け止める人たちが韓国人だ」と話す。韓国の若手作家のポップな作品にも「オグラダは残っていて、そこが日本の読者をハッとさせる点」なのだという。 そうか。筆者は30年以上も韓国社会と向き合いつつ、オグラダという概念をどう理解すべきか悩まされてきたのだが、それが日本の読者を引き付けるのか。そんなふうに考えたことはなかったので、とても新鮮な気付きだった。 澤田克己(さわだ・かつみ) 毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。