韓国社会を理解するキーワード「オグラダ」 日本人は韓国文学から読み取れるか 澤田克己
韓国の文芸関係者からは「1987年の民主化まで文学は軍事政権に抵抗し、民主化のために戦うものだった。だから、日本のようなエンタメ文学の書き手はまだ育っていないのだ」と聞かされてきた。だが民主化からは既に37年が経った。さらにポスト冷戦の90年代以降、経済成長とグローバル化によって韓国社会の意識は大きく変わった。 「キム・ジヨン」などを手がけた翻訳者の斎藤真理子さんは、いま活躍する韓国人作家の多くが60年代以降に生まれた世代だと指摘する。若い頃から世界に通用するサブカルを意識してきた人たちということだ。そして近年は、新しい世代の文学が主流になってきた。斎藤さんは「国家、民族、社会を背負う文学ではなくなり、個人と社会のかかわりを描くような韓国文学が2000年代以降、特に2010年頃から多く出てきた」と語る。 韓日翻訳者の小山内園子さんが近著「〈弱さ〉から読み解く韓国現代文学」で紹介した韓国人作家の言葉は、こうした流れを当事者の目線で語っている。この作家は青春時代に日本文学を吸収して感じたことについて、小山内さんに「自国の作家が大きなテーマと格闘して発言している一方で、日本の小説が個人の世界、自分の身の回りの関係を舞台にしていることに、軽い衝撃を受けた」と語ったそうだ。 ◇社会があるべき姿になっていない憤り ただ、新しい世代の作家たちも伝統の上にある点は変わらない。斎藤さんは「80年代までの重い韓国文学を全て脱ぎさったわけではなく、そこで培われたものを引き継いでいる。自分のことを書いても、必ず社会とのかかわりが如実に出る。そこが、ミニマムな世界をどんどん描き込んでいく日本文学との違いだ」と話す。 そうした志向性の背景にあるのが、韓国特有の感覚である「オグラダ」だろう。日本にはない概念なので説明が難しいのだが、韓国社会の特色をもっともよく表すキーワードだ。不条理への憤りを広範に表すような語で、韓国では日常的に耳にする。自分が正当に扱われていないと考え、そのことに不正義を見出し、それを社会に訴えたいと考える心情とも言える。私的な憤りが根底にあるものの、自分だけではなく公の問題だという意識が入っている。語幹部分を漢字で書くと「抑鬱」となるのだが、日本語的な感覚で漢字を読んでも理解は難しい。