ロレックスの腕時計、史上最高の19モデルを(私的に)ランキング!
デイトナからキングマイダスまで。米版『GQ』ウォッチ・エディターのキャム・ウルフが、ロレックスの歴史で最も重要なモデルをランキング形式で振り返る。 【写真25枚】米版『GQ』が選ぶロレックス最高の19モデルを写真でチェック!
ロレックスは紛れもなく世界で最も大きく、最も影響力のある時計メーカーのひとつである。同社は市場で最も重要で認知度の高い時計を製造しており、その行く先々へと業界も追随する。だからこそ、ロレックスのすべてのベストモデルをランキングしようなど愚かな試みに思えるかもしれない。119年の歴史を通して生まれた数多くのヒット作のなかから、どうやって勝者を選べばいいのか? しかし、事の本質にいざ迫ってみると、ロレックスが時計コレクターの心を掴んで離さないにもかかわらず、実は数十年にわたってそれほど多くの異なるラインを発表していないことに気づく。そう、同社はスーパーカーの設計のように合理的だ。ロレックスは長年にわたって自社のアイコンにこだわり、ゆっくりと反復し、少しずつ完璧に近づけてきた。ここ数年のいちばんの目玉を振り返ってみてほしい。サブダイヤルのリング幅がわずかに細くなったコスモグラフ デイトナや、前モデルよりもケースがわずか1mm大きくなったサブマリーナーなどが思い出される。 このリストを作成することは、ロレックスが自社の最重要ラインをどのように構築しているかも明確にしてくれた。「ロレックス最大の強みのひとつは、同社が手がけているモデル、これまで手がけてきたモデルのすべてが、互いに影響を与え合っていることです」と、ニューヨークのヴィンテージショップ「Analog:Shift」のオーナーであるジェームズ・ラムディンは話している。 オイスター パーペチュアルの防水技術はサブマリーナーに受け継がれ、サブマリーナーはより深く潜れるシードゥエラーの基礎となり、最終的にはそれが航海士のためのヨットマスターを生み出す。一方、長くは続かないモデルでさえ、ブランドのDNAにその足跡を残している。たとえばキングマイダスが、同社のより遊び心のあるクリエイティブ面の先駆けとなったように。 順位付けにあたっての方法論について、簡単に述べておこう。最終的なランキングを決定するために、次のように様々な指標を検討した。ロレックスに新しいテクノロジーを導入した、あるいはブランドの美学を押し進めたという点で、その時計はどの程度重要だったのか? その時計がコレクター市場や文化全体に与えた永続的な影響とは? その時計は今日でもどれだけ人気があり、魅力的なのか? これらはすべて重要な項目である。 以下に、ロレックスの最重要モデルをランキングで紹介しよう。 19. パールマスター パールマスターを愛していないわけではない。ただ、“キング・オブ・スポーツウォッチ”ことロレックスのベストモデル・ランキングを、ブランド史上最も豪奢かつ華麗なデザインから始めることに詩的なものを感じるのは、誰もが認めるところだろう。「パールマスター」という符号は、その図抜けたリュクスさを保証するのに十分だった。このモデルの素材には貴金属のみが使用され、常に宝石の装飾でドレスアップされていた。 パールマスターは30年間製造された後、2022年に製造中止となった。ある意味で、もはや必要ないほどの成功を収めたのである。1992年の発表当時、パールマスターの飛び抜けたハイジュエリー感はロレックスとして斬新だったが、ダイヤモンドを積極的に取り入れたその姿勢はその後同社のラインナップ全体に波及し、現在では人気モデルの多くに“アイスアウト”した絢爛なバリエーションが用意されている。ありがとう、パールマスター。 18. スカイドゥエラー スカイドゥエラーは、この後に紹介するパーペチュアル 1908に次いでリストで2番目に若く、現在も生産されているモデルである。スポーティなGMTマスターよりもドレス感のあるモデルとして、2012年に発表された。 GMTマスターがパイロットのための時計だとすれば、スカイドゥエラーはプライベートジェットを所有する人のための時計といえるだろう。ほとんどのバリエーションがゴールド製で、42mmのケースは当時流行していた大きくて派手なケースに対抗するのにも十分だった。 17. プリンス ランキングの3番目にして変わり種の登場だ! これはリストの中で最もマイナーな時計かもしれないが、ロレックスの全貌を見渡したときに無視できないものだ。1928年、ロレックスはプリンスと名付けられたカルティエ「タンク」風の長方形の時計を作り始めた。 この時計はエレガントなブラックタイを想定したものだったが、最終的には医師という特定の職業の間で特に人気が出た。白衣姿でだってサマになるという理由だけではない。この時計のサブダイヤルを使って患者の心拍を計測することができたからだ。正確な計時を追求する機器メーカーとして、悪くない分野で評判を高めた格好だ。 オリジナルのプリンスは1940年に製造中止となったが、ロレックスはまだこのモデルを完全には終わらせていなかった。2005年、同社はドレッシーな「チェリーニ」ラインの一部としてプリンスを復活させ、2015年に再び引退させた。 16. ターノグラフ 1953年はロレックスにとって大きな分岐点となる年だった。この年を境に、ロレックスは現在私たちが知るロレックスへと変貌していったのである。同社はこの年、エクスプローラーとサブマリーナーという後にアイコンとなる2つの時計と、それらに比べれば知名度の低いターノグラフを立て続けに発表した。 ターノグラフは前述の2モデルほどの高みには達さなかったものの、ロレックスの歴史を振り返れば、大きな技術的貢献を果たしたことがわかる。ロレックス初の回転ベゼルは、ターノグラフで導入されたものなのだ。これは、GMTマスターや数カ月後に発表されたサブマリーナーにとって重要な機能となった。その技術的な功績にもかかわらず、ターノグラフは独立したラインとして長続きせず、すぐにデイトジャストに吸収され、2011年に製造が終了した。 15. オイスタークォーツ いわゆる「クォーツショック」のインパクトは、ロレックスでさえもこの新しい技術に乗り出し、実験を行うことを促すのに十分だった。同社は厳しい基準を満たすクオーツ・ムーブメントの開発に5年を費やした。そうして誕生したオイスタークォーツは、ベルボトムやプラットフォームブーツと同じくらい70年代の真髄を体現した時計だった。 この時計には、時代を象徴するいくつかの特徴が見られる。内部のクオーツ式ムーブメントはもちろん、新設計のケースにはオーデマ ピゲのロイヤル オーク、パテック フィリップのノーチラス、ヴァシュロン・コンスタンタンの222など、この時代の他モデルにも見られる一体型ブレスレットが組み込まれている。オイスタークォーツは業界激動の時代に開発されたにもかかわらず、25年間という驚くほど長い期間生産され続けた。 14. パーペチュアル 1908 チェリーニの製造中止によってロレックスのラインナップにドレスウォッチの穴が空いた翌年の2023年、パーペチュアル 1908がその穴を埋めるべく登場した。この時計と次の2つのモデルが順次ランクインしているのには理由がある。これらは、ロレックスがその伝説的なツールウォッチと比肩する、よりドレッシーな時計を作ろうとした証なのだ。パーペチュアル 1908は、その分野を担う現行ラインである。 このモデルはまだ歴史が浅いが、私は2024年に発表された、ギョーシェ仕上げのアイスブルーダイヤルが気に入っている。 13. チェリーニ ロレックスはキング・オブ・スポーツウォッチとして知られているが、ドレッシーなタイムピースの世界でも存在感を示そうとしてきた。2022年に完全に生産終了となるまで、チェリーニはこの分野での最もコンスタントなモデルだった。1968年に発表されたとき、この時計はロレックスの新しい方向性を示した。 チェリーニは、ロレックスの取締役であったルネ=ポール・ジャンヌレの発案によるものだ。彼は、ロレックスの時計は一生使えるが、顧客は複数をコレクションに持つべきだという考えを広めたと言われている。ダイビングをするならサブマリーナーを、飛行機を操縦するならGMTマスターを──。チェリーニは、顧客のブラックタイ・オケージョンをカバーするためのものだった。 しかし、チェリーニは単に項目にチェックを入れるだけのものでなく、今日のロレックスのイメージを作り上げた時計でもあった。1960年に創業者ハンス・ウィルスドルフが亡くなった後、ロレックスの会長に就任したのがアンドレ・J・ハイニガーだった。 『ロサンゼルス・タイムズ』はハイニガーの死去を報じた記事の冒頭で、彼の影響を要約する逸話を紹介している。「時計ビジネスの調子はどうですか」というありきたりな問いに、彼はこう答えたという。「さあ、見当も付きません……。ロレックスは時計ビジネスにはありませんから。我々が身を置いているのはラグジュアリービジネスです」 ラグジュアリーに軸足を移すために不可欠だったのが、貴金属、宝石、そしてブラックタイにふさわしいデザインの世界を切り拓いたチェリーニだった。バラク・オバマ前大統領もチェリーニを愛用したことで知られている。 12. キングマイダスおよびクイーンマイダス キングおよびクイーンマイダスはやがてチェリーニ・ファミリーに吸収されることになるが、実際には1964年に単独でデビューしたモデルだ。 マイダスは間違いなく、大量生産されたロレックスのなかで最もファンキーなモデルである。この時計をデザインしたのは、ほかならぬジェラルド・ジェンタ。彼は70年代にロイヤル オークとノーチラスを発表する前、手始めにこの名作を手がけた伝説的な時計デザイナーである。なんというスターだろうか。 この時代、ロレックスはネーミングで勝負していた。ミダス(マイダス)王の名は、その手で触れるものすべてを黄金に変えたギリシャ神話の人物にちなんで付けられた。一方、チェリーニはイタリアの彫刻家ベンヴェヌート・チェッリーニにちなんでいる。 金の塊から削り出されたキングマイダスの左右非対称のアンギュラーなケースは、すぐさま時代のアイコンとなった。エルヴィス・プレスリーとジョン・ウェインという、この時代を代表する2人の有名人は、ともにマイダスのファンだった。このデザインを大量に、あるいは魅惑的なストーン文字盤のバリエーションを手に入れたInstagramのコレクターたちの間で、マイダスは今も愛でられている。 ラムディンのような専門家は、マイダスがロレックスのある転換点、つまりブランドが高級時計製造における「遊び」を真に追求し始めた瞬間を象徴しているとも指摘する。「ロレックスは新しいことに挑戦し、中核製品以外のデザインで芸術性を追求することを厭いませんでした。もしロレックスのDNAに(マイダスのような)芸術的で楽しいものを作ろうという遊びがなかったら、パヴェレインボーのデイトナは存在しなかったでしょう」 11. ヨットマスターおよびヨットマスターII ロレックスの手がける多くのモデルは時代精神と結びついている。GMTマスターは、ちょうど人々が定期的に世界中を飛び回るようになった50年代に登場した。一方、ヨットマスターは、90年代の“so-bad-it’s-good”(趣味がいいとは言えないが、だからこそいいというアイロニカルな感性のこと)なテイストをうまく捉えている。 「スポーツウォッチをモナコのヨットクラブのシーンにアピールするには?」と、ラムディンはこのモデルの魅力を端的に語る。私が話を聞いた専門家は皆、ヨットマスターを私の想像以上に上位に位置づけていた。 ヨットマスターのデビューは1992年と、思いのほか長い歴史を持つ。この時計はゴールドのケースやマザーオブパールの文字盤など、ダイバーズウォッチに豪華な装飾を施す口実をロレックスに与えた。当然のことながら、この種のセンスに惹かれるコレクターは、ロレックスのコアな顧客層となっている。 2007年に発表されたヨットマスターIIは、レガッタタイマーという実用性の高い複雑機構をロレックスのラインナップに導入した点でも高く評価すべきだろう。ロレックスは今も、このモデルの洋上での機能性を改良し続けている。ヨット選手のベン・エインズリーは2021年に超軽量チタン製のヨットマスターのプロトタイプを着用しているところをキャッチされたが、2年後には正式にカタログに加わった。