「俺は地獄に行くから会えない」 妻と娘救えなかった罪悪感―残された家族守るため、思い出の地で再開した店 能登半島地震1年
今はつらさが先に立つけれど いつか輪島へ
楠さんはこの秋、ストレスなどのせいか約2週間入院し、体重は5㌔落ちた。 店を再開すると、すぐに客足が戻り、忙しい日々が続いている。「家族を亡くし、体調を崩した自分をお客さんが『気の毒だ』と励ましてくれているのかな」。心の中でそんなふうに思っている。 ふらっと立ち寄ったお客さんが品書きを見て、能登にゆかりのある店だと気づく時がある。「そういえば地震あったね」と問われると、「何か(被災地のために)できることをやって」と応じる。 能登のことを思ってくれるだけでいい。復興には多くの人の力が必要だ。 元日の地震に続いて9月には豪雨でも大きな被害が出た。 「輪島の人たちは地震が来て大雨が来て、次は大雪被害に遭うのかなって心配している。数年に1度、車も動けないほどの大雪が降る。そうなるとおしまいだって」。能登に残る被災者の不安が痛いほど分かる。 楠さん一家が、川崎から輪島に移住したのは18年。毎年のようにキャンプで訪れ、輪島の自然や人情にひかれた。 店を開いたものの、最初は大変だった。「毎晩、夫婦で飲み歩いて顔を覚えてもらったのよ」 そのうち、「わじまんまさん」と声を掛けられるようになり、野菜を分けてもらうなど、溶け込んでいった。夫婦で苦労して築いたのが「わじまんま」だった。大事な店を一人守り続けたいと思う。 家族を失っていなければ、輪島で再起を図ったと思う。いまはつらい思い出が先に立つが、妻と選んだ大切な場所であることに変わりはない。 「本当にいい所だよ。次男と2人で暮らしてやっていけるような小さい店でいい。また輪島に戻りたいな」【安西李姫】 ※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。