「俺は地獄に行くから会えない」 妻と娘救えなかった罪悪感―残された家族守るため、思い出の地で再開した店 能登半島地震1年
障害のある次男 残された家族守らねば
「消えてしまいたい」と輪島の避難所で何度も思った。だが、残された家族を守る必要がある。 輪島では、すぐに店を再開するのは難しいと思い、川崎を選んだ。約30年前、妻と出会い所帯を持った街だった。 静岡県出身の楠さんと能登半島にある石川県七尾市出身の由香利さんは、飲食関係の職場の同僚として出会った。 偶然にも新たな店の場所は当時、由香利さんと飲み歩いた一角にある。「俺は日本酒。由香利はハイボールだったな」。ホームセンターに何度も通い、自力で内装を整えた。 次男は障害があり介助が必要だ。2人が亡くなったことはいまだに伝えられていない。次男は1月の葬儀でもひつぎの中を見ることはなかった。 食事を作ってもなかなか食べてくれず、「ママい(由香利さんのご飯が食べたい)」と言われた時は、途方に暮れた。「2人がいなくなったことは理解しているのだろうけどね。今はそっとしている」 珠蘭さんが看護学校に進んだのも、次男の将来を考えてのことだった。「パパとママが亡くなっても、私が最後まで面倒を見るから」と言ってくれた。反抗期もなく、優しい性格だった。 地震当時、高校3年だった次女はこの春、珠蘭さんの後を追って同じ看護学校に入学。姉の白衣や聴診器を受け継いだ。 次女の進路が決まった頃、妻が「輪島を離れても姉妹で一緒の学校に行くって、いいよね」と目を細めていたのが、つい最近のことのようだ。
我が家潰した隣のビル 解体に複雑な心境
11月になって五島屋ビルの公費解体が始まった。他の被災者から「あのビルを見ると心が沈む」と聞いた。楠さんもそう思う一方、倒壊原因の調査を終えてから撤去すべきだという思いが交錯する。 「すごい揺れだったけど、うちの家は倒れる兆候はなかった。隣のビルがのしかかってこなければ、2人が死ぬこともなかったと思う」と悔しさをにじませる。 輪島市によると、12月に入って道路にはみ出していた3階以上の解体は完了したが、2階以下の撤去のめどは立っていない。 築50年以上で旧耐震基準の建物とされ、国土交通省が倒壊原因を調べている。