「テロが成功してしまった日本」テロの脅威に晒された日本の民主主義と社会の責任
テロリストの権利
誰もが銃をぶっ放すアメリカでは、テロリストに限らず犯罪者がカジュアルに射殺されてしまうので、この点ではあまり悩んでいないように思えます。トランプを狙撃した犯人も即射殺され、本人からは何も語られずじまいでした。 無論、それが優れたやり方だなんて微塵も思いませんし、解決でも何でもない。言葉で主張する自由はテロリストにも平等に与えられた権利であり、誰だろうが例外なく黙らせてはいけない。そこは意地でも守るべきラインです。 そのうえで今、カジュアルにテロが起こり始めている国内の風潮に対し、多くの方に危機感を持って頂きたいのです。どんなテロだろうが、たとえその主張が自分の意に沿ったものだろうが「でもテロじゃダメだろ」「うん、ダメだな」と社会全体で否定する、漏れなくそう答えられる社会にしなければ、民主主義が死んでしまう。 今回の衆院選で、多くの人たちが「民意は選挙で実現する」を実感したはず。だからこそ、その民主主義の仕組みを守り、テロなんて起こしても何も変わらない「強い社会」を作らなければならないのでは。これは政治家の仕事ではなく、社会を構成する私たちの役割です。 何度も言うけど「良いテロ」なんてないので…… この連載、お陰様で今回が101回目となります。過去、壮大に勘違いした国会議員から嫌がらせを受けたり、とある界隈から絡まれたりと、ホント色々ありましたが、これからも法の範囲内で日本における表現の自由を最大限に活かしつつ、連載5000回くらいまでやる予定ですので、今後も引き続きよろしくお願いします。 Text:小木曽健(国際大学GLOCOM客員研究員) ※本記事のタイトル・画像はFORZA STYLE編集部によるものです。
小木曽 健