還暦迎えた神取忍 柔道から鳴り物入りでプロレス入り、対抗戦から男女対決への軌跡
「現役で還暦って、もしかしたら時代に合ってるのかもよ。いまの時代、これからだよって」
92年8月にLLPWが旗揚げ。すると翌年、 女子プロ界に団体対抗戦の波がやってくる。 「新団体だから、ほかの団体にあいさつにいくわけ。よろしくお願いしますってね。そのなかで全女に行ったんだけど、試合のある日の方が社長に会いやすいだろうと。それで会場に行ったんだけどさ、北斗(晶)に『逃げんじゃねえ!』とかなんとか挑発されて。こっちは逃げるもなにも、(社長に)あいさつに来ただけなんですけど(苦笑)。そんなだまし討ちみたいなのに遭い、売られた喧嘩だから買った。そこから始まったんだよね」 神取vs北斗の一騎打ちは、団体対抗戦の中心を担う刺激的なカードになった。北斗がデンジャラスクイーンと呼ばれるようになったのは、神取との壮絶すぎる激闘があったからだ。 では、当時の神取は、団体対抗戦についてどんな考えを持って闘っていたのだろうか。 「最初に思ったのが、長与とやっていればもっと早くに盛り上がったのにねって(笑)。でもまあ、人間、あまり欲をかきすぎてもよくないとも思った(笑)。結果的に対抗戦になって、いろいろできたからね。そんなときにいつも考えていたのが、団体を背負っての闘いだと。あの頃は個人ではなく、団体のために闘うんだよ。団体の看板を懸けて闘うのが基本。だから私はLLPWの看板を背負ってたし、ウチが一番だというプライドを持って闘っていたんだ」 ベルトも保持したが、神取はもともとタイトルには固執しないタイプ。それでも王者である以上、ベルトにふさわしい試合をしていく使命感に駆られていたという。堀田祐美子からWWWA世界シングル王座を奪取し、約1年に渡り保持。全女の最高峰タイトルがはじめてLLPWに流出したのだが、神取があのベルトを巻いていたとの印象は、正直薄い。それも、王者の地位にこだわらない神取のベルトに対する考え方とつながっているのかもしれない。 むしろ神取と言えば、男女対決の先駆者とのイメージが大きいのではないか。天龍源一郎戦で顔面をボコボコにされながらも向かっていったあの試合こそ、革命だった。 「でもね、私からすれば普通だったんだよね(笑)。柔道のときからずっと男の子と練習をやってたから。男の子と練習して、大会は女子という感じ。だから天龍さんとやっても最初から違和感はなかったよね。私にはこれが普通なんですけどって(笑)」 いまでは男女が当たり前のようにひとつのリングで闘う。対抗戦も時代の流れとともに様変わりした。さまざまな歴史に立ち会い、そして迎える還暦興行――。 「現役で還暦って、もしかしたら時代に合ってるのかもよ。いまの時代、これからだよって。私が闘うことで同年代の人たちも頑張れるって思えるでしょ。まだまだできるじゃんって。まだまだできるというか、もっとできる、かな。そう思ってもらえたらうれしいね」 インタビュアー:新井宏
プロレスTODAY