この地球最大の謎「生命は、どうやって生じた」のか…じつに、40億年もの生物進化から見えてきた「意外すぎる盲点」
進化する「進化論」
1859年にダーウィンの『種の起原』が出版される以前にも進化論を唱えた人はいて、古くは古代ギリシャのアナクシマンドロスが、人間は海の中で魚から進化したと考えていました。 ダーウィンが画期的だったのは、進化のメカニズムとして「自然選択」を提唱したことと、進化は枝分かれをして進むと考えたことです(分岐進化)。 たとえば、用不用説を唱えたラマルクの進化論は、「キリンが高い木の草を食べようとすると首が伸び、それが子孫に伝わる」という、獲得形質は遺伝すると考えるものでした。また、ラマルクは、生物の進化は単純なものから複雑なものへと、直線的に進んだと考えました。まさに文字どおりの「進化」です(図「ラマルクの進化とダーウィンの“進化”」)。 ところが、ダーウィンの考えは、生物の個体間にはさまざまな差(変異)があるが、その中で生存していくのに有利な変異を持つものが自然によって選ばれ、その性質が子孫に受け継がれていくとするものでした。これが自然選択です。 そして、1つの種から別々の新たな種が生まれるという分岐進化も考えました。つまり、変異によって必ずしも、より複雑なものに変わっていくとは考えていなかったのです(図下のダーウィンの“進化”)。そのため『種の起原』の初版では「進化」とはよばず、「変化を伴う系統(descent with modification)」とよんでいましたが、のちの改訂版で「進化」という言葉も使うようになったのです。 近年まであまり知られていませんでしたが、ダーウィン進化にはもともと、生物種がより優れたものに変わっていくというニュアンスはありませんでした。そしてダーウィンは、ヒトもこの進化の流れの中に置いて考えました。しかし、このことが とりわけ、保守派からのダーウィンへの批判を招くことにもなりました。 ダーウィンの死後、遺伝のメカニズムが科学的に解き明かされていきました。1901年には、オランダの植物学者ユーゴー・ド・フリース(1848~1935)が、突然変異により進化が起きるという説を、ダーウィンの自然選択説に対抗するものとして提唱しました。これが人気を博したことにより、自然選択説は人気を失っていきました。
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