『昭和米国物語』の世界は□80年代の中国□で育ったからこそ生まれた!反響への感想や体験版の予定までプロデューサーに聞いてみた
NEKCOM GAMESが手掛けるPC/PS5向けアクションRPG『昭和米国物語(Showa American Story)』。本作は昭和66年、強大な経済力を背景に日本に植民地化されたアメリカを舞台に繰り広げられるロードムービーライクな復讐劇です。 【画像 全10枚】中国だからこそ生まれた『昭和米国物語』!
テーマソングに大事MANブラザーズバンドの楽曲「それが大事」が起用されていたり、異常なまでに造詣の深い「日本への理解」で驚きを呼んだ本作。先日発表された新PVも大きな話題となりました。驚くべきは、本作を手掛けているのは日本やアメリカのデベロッパーではなく、中国のゲーム開発会社NEKCOM GAMES(以下、NEKCOM)だということ!
今回はそんなNEKCOMのCEOであり、『昭和米国物語』のディレクター/プロデューサーでもあるXiangyu Luo氏(以下、XY.Luo氏)にお話を伺う機会を得ました。本稿ではXY.Luo氏が□80年代の中国で育んだ感性□をもとに作り上げられた『昭和米国物語』について、たっぷりとインタビューを行ってきました。
XY.Luo:XY.Luoと申します。NEKCOMの設立者であり、クリエイティブディレクターおよびプロデューサーを務めています。『昭和米国物語』ではプロジェクト統括に加え、世界観の構築やセリフを含めた脚本部分、キャラクターデザインにコンテンツ設計などを担当しています。
――『昭和米国物語』は日本文化やアメリカ文化のみならず、様々な年代の文化が混在し魅力を放つ作品です。この着想のきっかけになった□原点□についてお聞かせください。
XY.Luo:私は1983年生まれの中国人で、日本やアメリカでの生活の経験というものは一切ありません。しかし当時の中国に入ってきた、日本とアメリカの文化に深く影響されながら育ってきました。
日本のサブカル文化が7割、アメリカ文化が3割ほどでしょうか。これらの文化が融合していたのが「中国の80年代」で、かなり特殊な時代・環境で育ったといえるでしょう。このような時代は、中国の特色のひとつかもしれません。私たち世代の□子供の頃の思い出□は、日本の同世代の人たちと多くの共通点を持ちながら、多くの違いも存在しているのです。