MAZZELのHAYATOが語る、ディズニーとガールズダンスからの影響、グループで手にした幸せ
お姉ちゃんの存在
―ガールズダンスをやり始めたのはいつ頃ですか? 小学生の頃から趣味でやっていて。それもお姉ちゃんがやっていたので真似から始めました。高校生になってから、それが自分の強みでもあるなと思ったので、伸ばして仕上げるためにレッスンを受けるようになりました。 ―中3で俳優をやめてダンスと歌を頑張ろうと決断し、ガールズダンスに向いていったと。 そうです。高1くらいまではずっと好きでやっていたんですけど、そのせいでどうしてもガールズダンス以外の振りを踊れなくなることが多くなってしまって。トレーナーやコーチの方に「やめたほうがいい」って言われて、1年間くらい封印していた時期がありました。(ガールズダンスのレッスンを)受けたくても、それを受けにいったらアーティストになれないと思ったので、とりあえず今は長所を伸ばすより短所を伸ばさなきゃと思って一度封印してました。 ―BMSGは個性を殺すより生かしていこうというビジョンがある会社だと思うんですけど、それでいうと『MISSIONx2』を受けてBMSGに入ったことで救われた部分もありました? ありますね。『MISSIONx2』のときはまだガールズの癖が抜けてなくて、とりあえず普通のダンスを伸ばそうと思いながらやっていたんですけど、その中で社長(SKY-HI)から「自分のよさは消さなくていい」というふうにたくさん言っていただいて。それは自分の色と言っても過言ではないので、少しずつエッセンスとして出せるように練習しました。 ―そうやって言ってもらえたのは、HAYATOさんにとって人生を変えるくらいの「安心」というか何というか――。 そうですね。(ガールズダンスのレッスンを)受けにいっちゃダメだとずっと思っていたので。社長から「それが隠し味になったらいいよね」と言っていただいて、別にどちらかを100/0にするんじゃなくて、割合を考えてやれたら自分としての個性が出るんだなと思えるようになりました。 ―MAZZELとしてパフォーマンスする中でも、曲やパートによってそのバランスを考えているということですよね。 はい、自分で試行錯誤しながらやってます。 ―ガールズに興味を持った理由は他にもありますか? お姉さんからの影響がとにかく大きい? そうですね。歌、ダンス、演技をやり始めたのは全部お姉ちゃんですね。 ―今、お姉さんはHAYATOさんの活躍を見て何て言ってますか? ずっと間近で見てくれていたし、オーディションを受けることも手伝ってくれたので、今は本当に嬉しく思ってくれていて、たくさん褒めてくれます。弟が誇らしいと言ってくれるので僕も嬉しいです。 ―『MISSIONx2』を受けたのは高2の頃ですよね。当時はどういったことを考えている時期で、なぜこのオーディションを受けたのでしょう。 すごく焦ってはいました。高校2年生って、世間から見たら若いかもしれないですけど、アーティストになることを考えると決して若くはない年齢だと思っていて。プラス、そのときは大学に行かなきゃいけないってなってたし、同じレッスンを受けてる子たちがどんどんいいところまで行ってるのを見ていたので、本当に焦っていた時期でした。 ―大学に行ったほうがいいと周りから言われたり、自分でも行ったほうがいいのかなと悩んでいた、ということですか? そのまま大学に行く予定だったので、行くことを覚悟しながら、大学に行くまでにできることをやろうっていう感じでした。高校と大学が繋がってる学校だったので、そこまで受験勉強をしていたわけではなかったんですけど、テストはあったので。 ―大学に進学できる高校に通っていると、「大学に行く」という選択肢が目の前にある状態ですよね。きっと同級生もそのまま大学に進む子が多かっただろうし。 そうなんです。「大学に行くのが当たり前」みたいな感じがすごくあって、周りはほぼ全員大学に行きました。『MISSIONx2』がテストと丸かぶりだったので、自分がアーティストになるのか、大学に行くのかっていう、本当に狭間でした。 ―オーディションを受けるとき、一言で「悩んでいた」と言っても、本当にいろんな種類の悩みがあったんですね。 本当に、色々ありましたね。中学2年生のときも、普通の人は悩まないようなことがあって。「なんで自分が悩まなきゃいけないのか」って思うこともありました。中2、3は、自分の夢を目指すことに集中したいけど、それができるような時期ではなかったというのもあって、大変でしたね。 ―ミッキーから培った「楽しく考えることが大事」というマインドも、そういった出来事の支えになっていた……とまでいうと綺麗にまとめすぎですか? その時期もエンタメに救われてましたね。ディズニーとK-POPに支えられながら過ごしてました。ディズニーの映画もお姉ちゃんと一緒に見ていましたし、中2、3の頃はK-POPも大好きだったのでライブにもたくさん行きました。 ―エンターテイメントから人生の考え方や幸せをもらってきたからこそ、自分が作るエンターテイメントを通してMUZE(MAZZELのファンの名称)や見てくれる人たちに幸せを届けたいという想いが、偽りなく大きくあるんですね。 本当にそうです。ファンがステージをどう見ているかとか、自分が体験してきたからこそわかることがたくさんあるし、自分が還元できることがあると思っているので。「幸せを与える」というか……「幸せを分け合いたい」と思ってます。 ―中2、3の出来事も、事務所をやめたことも、大学への進路についても、ガールズダンスを封印していたことも……「悩んでいた」の奥にはいろんなことがあったんですね。 歌もすごく悩んでいましたね。小学生の頃から歌うことが大好きだし得意で、ミュージカルでも自信を持ってやっていたんですけど、中1、2で変声期を迎えて声が出なくなっちゃったときは本当に絶望したというか。これまで強みにしていた歌が出せなくなったらどうすればいいのだろう、って。歌えていた自分を知っているからこそ、歌えなくなることが精神的につらくて。それでボイトレにもたくさん通いました。変声期って、風邪みたいにすぐ治るみたいなものではなくずっとかかるものなので、それと向き合っていかなきゃいけないことがすごくつらかったですね。 ―本当にいろんなことを抱えながら『MISSIONx2』に応募されていたんですね。 人生がここに賭かっていたし、最後のチャンスだと思っていたので、本当に、命を懸けてました。