大学教授が発達障害の子育てで痛感した「普通」という呪縛 大学進学は本当に最適解か、自信喪失の恐れも
大学進学が最適解か、キャリアパスはどうするか…課題は山積
「普通」の呪縛は強いものの、発達障害の子どもに向けられるまなざしは徐々に変化し、社会は明るい方向に向かっているとも感じている岡嶋氏。だが、その結果として彼らの大学進学率が上がっていることには、複雑な思いを抱いている。 「大学教員として、発達障害の入学者は確実に増えていると感じています。ただ、これが本当に最適解なのかどうかは、じっくり考えてみる余地があるのでは」 大学入試を突破できるだけの学力があるなら、勉強ができることに自信を持っている子どももいるだろう。しかしその自信が、大学生活によって失われてしまう恐れすらある。 「現在の大学のカリキュラムや環境は、発達障害の人に向いているとはいえません。大人数クラスに放り込まれ、先生のサポートもなく、彼らが苦手とするコミュニケーション能力が非常に強く求められる。学歴自体を誇りに思えるタイプならいいのですが、入学後に孤立して、塞ぎ込んでしまう学生も実際に見てきました」 近年は、文部科学省も「子どもの自己決定」の重要さを説いている。だが、とくに発達障害の子どもに対しては、そのバランスを考えて接する必要があるようだ。 「理念としてはすばらしいものですが、子ども自身で自分が楽になる決定を下せるとは限りません。暗喩や相手の感情も読み取れない相手を誘導することは簡単です。自己決定を隠れ蓑にして、むしろ学校や大人が楽になること、得になることを選ばせていないでしょうか。行けるのであれば大学に行かせたいという親の気持ちもとてもよくわかります。でもそれが、『普通』を求める親のエゴであってはいけない。また、大学はどこも台所事情が厳しいので、学力が水準に達していれば、積極的に学生を受け入れます。学校で働く者の一員として、これは自分でも肝に銘じておきたいことです」 もう一つ、岡嶋氏が課題を感じていることがある。それは発達障害の子どもたちの行く末、キャリアパスの選択肢のなさだ。大学の出口となる就職活動は、学生生活以上にコミュニケーション能力が重視され、発達障害の学生にとっては非常に厳しいものになる。大卒資格があることで、障害者雇用の対象外になってしまうケースもあると言う。 また、特別支援学級で学ぶ場合、教科学習はどうしても国語や算数に偏りがちだ。しかし実際には、理科や社会科が大好きな子どもも多くいる。学びを楽しむ力があるにもかかわらず、高度な教育を受けるための選択肢はやはり少ない。 岡嶋氏は、近年拡充が進む「就業技術科」や「職能開発科」のような学びのあり方に期待を寄せている。これは飲食店や清掃業など、実際の業務で役立つスキルを身に付けることができるもので、現在は2科合わせて、東京都内の12の特別支援学校に設置されている。 「発達障害の子どもは年齢に対して幼いことも多いので、中学校卒業後に、じっくり社会に出る訓練ができる機会があるのはうれしい。とてもいい仕組みで、高校の3年間だけではもったいないほどだと思います。あと2年ぐらいプラスして、歯ごたえのある学習なども経験できるようになったらもっといいですね」