大学教授が発達障害の子育てで痛感した「普通」という呪縛 大学進学は本当に最適解か、自信喪失の恐れも
発達障害の子どもは「教室の苦しさを知らせるカナリア」
小学校から大学まで、教育の場を内側からも外側からも見つめてきた岡嶋氏は、その閉鎖性の強さに疑問を抱いている。外部からの手助けや変革を許さない風潮があり、新しい試みにも消極的だ。だがコロナ禍で、その牙城が否応なしに崩された部分がある。 「リモート授業などが導入されてやりやすくなったという声は、発達に特性を持つ多くの子どもから聞きました。オンデマンド型なら自分のペースで繰り返し見ることができ、聞き逃すこともなくなる。また、生身で向き合うより、アバターやテキストによるコミュニケーションのほうが気軽だという人は多いでしょう。定型発達の人にとってもメリットがあったはずです」 デジタルで救われた人がいる一方で、インターネットやバーチャルの世界でも、多様性は確保されていない。SNSは岡嶋氏の専門分野でもあるが、自分と違う他者を認めることは、「心理コストが高すぎる」のだと同氏は言う。異なる正しさがぶつかり合い、目立った人が炎上して「普通」からはじき出されるところを、私たちは日常的に目にするようになった。多数派に交じる安心感はこうしたところからも生まれ、強化されるのかもしれない。 「僕は今の日本は、発達障害であるか否かにかかわらず、等しく人があまり尊重されていないと思います。そして、問題のしわよせはまず弱いところに表れます。学校にフォーカスしたとき、発達障害の子どもたちは、教室の息苦しさを知らせるカナリアのような存在だと言えるでしょう」 強すぎるマジョリティー志向と、レベルが上がり続ける「普通」との間で苦しんでいるのは、定型発達の子どもも、多くの大人も同じではないだろうか。 (文:鈴木絢子、注記のない写真:Graphs / PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部