「俺の死に場所はここだ」――覚悟を決めた真珠湾攻撃 103歳の元搭乗員の証言
まさかの対戦相手と奇襲攻撃
後甲板には通路をふさぐほど重油のドラム缶がぎっしりと積まれていた。搭乗員室では、みなが「どこに行くんだろう」と話し合っていたと吉岡さんは振り返る。 「水を通すパイプには凍結防止の石綿が巻いてある。一方で、半ズボンの作業服を積み込んだという人もいる。寒いところなのか、暑いところなのか。それに伊勢神宮の近くを通るときには『ただいま伊勢神宮の前を通る。総員、左を向け。敬礼!』というのもあった。何度も通っているところなのに、今日は不思議だなと。ただ、どこか戦地に行くということだけは気づいていました」 着いたところは北海道・択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)だった。山が海にせり出した地形で、小さな漁師小屋が三つほど見えた。まもなく周囲に飛龍、翔鶴、瑞鶴といった空母や戦艦がそろった。
11月24日の朝食時、号令がかかり、艦長のもと総員が集まった。そこで初めて目的地と作戦が明かされた。行き先はハワイ、相手はアメリカだった。「驚きました」と吉岡さんは語る。 「アメリカなんて戦争相手として想像すらしたことない。どんな相手かもわからない。でも、そのとき南雲忠一中将の訓示で『暴慢不遜ナル宿敵米国ニ対シ愈々十二月八日ヲ期シテ開戦セラレントシ』、さらに『十年兵ヲ養フハ只一日之ヲ用ヒンガ為ナルヲ想起シ』(※注)という言葉があった。立って聞いていましたが、頭の血がデッキに吸い取られていく気がして、『いよいよ俺の死に場所はここだな』と覚悟ができました」
すぐに作戦を覚える学習に入った。11月26日午前6時、艦隊は単冠湾を出港。ハワイ諸島周辺の海図やジオラマ模型を見るとともに、攻撃目標であるオアフ島の地形や、艦船の写真を覚えていった。ハワイには戦艦アリゾナのほか、航空母艦は2隻、訓練用の標的艦である戦艦ユタもあるということだった。地形を勉強するなかで真珠湾が浅いことも知った。 「浅海面襲撃訓練はハワイのためにやっていたんだとわかりました」 アメリカに対する日本政府の開戦の決意は、同年11月5日の御前会議「帝国国策遂行要領」で固まっていた。背景には、日中戦争に対するアメリカの反応とそれに対する日本の反発があった。