清原正吾“モデルの母”の前で…「正吾と一緒にコントを披露した」慶大の親友が明かした“清原家の優しさ”「(清原和博が)高橋由伸さんのサインを…」
「アキアキ(清原正吾の母)の前で、正吾と一緒にコントを披露してました」。親友が語る、清原家との思い出。【全4回の2回目】 【最新写真】「16年前、あんなに小さかった子が…清原和博の引退試合で号泣していた清原正吾」「モデルの母にソックリ?」最新カットで比較…清原正吾の貴重写真を一気に見る ◆◆◆ 今年、慶應義塾大学体育会野球部の副将を務めた福住勇志(4年)は、慶應幼稚舎(小学校)から清原正吾と家族ぐるみの付き合いを続けてきた。
「正吾と一緒にアキアキの前でコント」
6年間に渡ってクラス替えがなく、同じ教師が入学から卒業まで担任を務めるという特殊な教育方針を貫くのが幼稚舎だ。そこで、二人の担任を務めたのは昨夏に慶應高校を率いて日本一を達成した森林貴彦である。つくづく、正吾は野球と縁の深い人生を歩んできたわけだ。福住は言う。 「仲良くなったきっかけは覚えていないんです。気がつけば週に1度はどちらかの家に遊びに行っていましたね。僕らふたりともドリフターズが大好きで、『8時だョ! 全員集合』のビデオを観たり、志村けんさんのバカ殿をテレビで観たりしていました。小学生ながらに正吾とコントを作ったりして、アキアキ(正吾の母で、モデルの亜希さんのこと)や僕の母親の前で披露していました」 二人が生まれた翌々年にザ・ドリフターズのリーダー、いかりや長介氏は亡くなっている。リアルタイムでドリフのコントを楽しんでいた世代ではない。それでも福住は「僕らの教育のもうひとつの根幹でした」とまで口にした。そして、「正吾はとにかく子どもの頃から負けず嫌いでした」と振り返る。 「じゃんけんをするにしても絶対に負けることが嫌で、ゲームをしていても常に真剣勝負。勝負事が大好きなんだと思います」
正吾の父・清原和博の素顔
正吾の父・和博がプロ野球を引退したのは2008年だ。引退試合に足を運び、大声援を浴びた父と同じ道を歩むことを夢見た正吾は、小学3年生の時に野球を始める。入団したのは、福住がいた軟式野球のクラブチーム「オール麻布」だった。同チームは清宮幸太郎(現北海道日本ハム)やその弟・福太郎(早稲田大3年)をはじめ、元プロ野球選手や芸能人の子息も数多く通ったチームだ。現在は福住の父が代表を務める。 「僕が『一緒にやろう』と言ったわけではないんです。うちの父が当時、ヘッドコーチを務めていたこともあり、自然と清原家の選択肢としてオール麻布があったんだと思います。正吾は足が特別速いわけでもないんですが、野球センスがあって、バットに当たった時の飛距離はすごかったですね。弟のカツ(勝児)もすごかったですけど、(正吾の)大学での活躍を見ていると、運動神経はやっぱり良かったんだなと思います」 正吾の父については「人間味のある優しい人」という印象を福住は抱いていた。彼もまた正吾や勝児と同じように、和博のことは「アパッチ」と呼ぶ。 「小学4年生ぐらいの頃、アパッチに『(高橋)由伸さんのサインバットが欲しい』とお願いしたことがあったんです。するとしばらくして、本当にもらってきてくれた。正吾やカツだけでなく、僕の野球の結果もいつも気に掛けてくれていた。アドバイスをもらったこともあります」
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