全米OPで初の四大大会決勝に臨む“遅咲き”ペグラ、快挙の裏に隠された泥臭い道のり「様々な困難からも立ち直り、より強くなれた」<SMASH>
ジュニア時代に目立った戦績のないペグラは、トップ選手を夢見る多くの少女がそうであるように、ITF1万ドル大会の予選からプロキャリアを歩み始めた。初めて決勝に進んだのは、ITF2万5千ドル。以降の9年間で6度の決勝を経験しているが、頂点に手が届いたことは一度もなかった。なお2018年ホノルル6万ドル大会では、決勝で0-6、2-6の完敗。その時の相手は、日比野菜緒だった。 その彼女が2022年10月の時点で、世界の3位に到達する。しかもシングルスのみならず、ダブルスでも同位に。単複ともキャリア最高位に至ったこの時、彼女は28歳だった。そして30歳を迎えた今、地元開催の全米オープンで、彼女は「子どもの頃に見た夢」に手が届こうとしている。 昨年の初頭、そんなペグラに「キャリアのターニングポイント」を尋ねたことがある。長い回想を要する問いではあるが、彼女はいつもように立て板に水で、次のように即答した。 「ベスト8に入った2021年の全豪オープンが、キャリア最大のターニングポイントだったと明言できる。実際に直後のカタールオープンでも、予選を勝ち抜きベスト4に勝ち進んだのだから。それらの大会で、流れが変わったと思う」 さらにペグラは、そのターニングポイントにつながる起点として、2020年に世界を覆った“新型コロナウィルスのパンデミック”を挙げた。同年3月から8月にかけてツアーは完全に中断し、再開後も会場は無観客。選手たちは毎日のPCR検査と、隔離などの厳しい行動規制を強いられた。 世を覆うパンデミックの混乱は、世界の景色を変容させる。ただその混沌機を、ペグラは、好機ととらえた。 「あの頃のわたしは、ちゃんと試合に出て、しっかり戦おうと決意した。無観客試合や、数々の厳しい縛りがある中で、他の選手たちは、同じような気持ちでいられないだろうとも分かっていたから」 当時を振り返り、ペグラが言う。 「誰しもが精神的にタフな中で、わたしは自分に言い聞かせた。不平不満を言わない。イライラしない。むしろ現状を活用する……と。結果、多くの試合で勝てたし自信もついた。それが、その後につながったと思う」