「中山美穂」初代マネージャーが語る “胸にバスタオル撮影”で泣きじゃくった「根暗で無口」な少女が、スターになった日
レコ大の誓い
「毎度おさわがせします」終了の後、中山は歌手デビューも果たしている。シングル「C」でデビューし、17万枚のヒットとなった。その年は「BE-BOP-HIGHSCHOOL」で映画初出演も果たし、彼女が歌った同名の主題歌もヒットした。暮れのレコード大賞では新人賞にノミネート。最優秀新人賞を争うライバルは、ドラマ「金曜日の妻たちへ」の主題歌「恋におちて」を歌った小林明子や、本田美奈子など強敵ぞろいだった。 「“絶対に獲れる”と言ってくれる関係者もいましたが、私たちは半信半疑でした。本人もわかっていますが、美穂は決して歌が上手いわけではない。街を歩いていても、本田美奈子の歌はよく流れていましたが、美穂の歌はそれほどでもなかった。もともと美穂はネガティブなところがあり、少し根暗です。レコード大賞についても悲観的でした」 ある日の夕方、もう辺りが暗くなった頃。 「場所は覚えていませんが、移動中だったと思います。私は“絶対に獲ろう、獲らせてみせるから”と本人に声をかけ、“獲りますっていいなさい!”と言った。彼女はそれでも初めこそ自信がなさそうでしたが、最終的に“獲ります”と誓ってくれました」 大晦日、見事中山は、最優秀新人賞を受賞。史上最年少での快挙を果たし、躍進の一年を締めくくったのである。
サインを送ってくれたら頑張れる
この1985年は、山口組四代目の竹中正久組長が射殺され、一和会との「山一抗争」が勃発。豊田商事の永野一男会長がマスコミの面前で刺殺された。夏には日航ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落し520人が死亡。秋には阪神タイガースが日本一になるという、騒擾の年だった。芸能界では松田聖子が神田正輝と“聖輝の結婚”をし、夏目雅子が白血病により、27歳で命を落とした。そんな中、次のトップスターが確かに誕生していたのである。 翌年、中山は日テレ「セーラー服反逆同盟」、フジ「な・ま・い・き盛り」に主演し、シングル「ツイてるねノッてるね」がヒットするなど、さらに飛躍を遂げた。その年を最後に、岡嶋氏は中山の担当を外れる。そしてその後、他の芸能事務所に移籍した。 「その後は一切、連絡を取っていません。違う事務所のタレントに連絡を取るのは、元マネージャーとは言え、ご法度ですから」 以来、30年余り経った今年の12月6日。岡嶋氏は彼女の最期をニュースで知った。 「茫然自失でした。今、実は私の育てたタレントたちが出る映画を準備していて、それに彼女にも出てもらいたいと思っていた。声がけをしようと思っていた、ちょうどそんな矢先の出来事でした」 今思い起こすのは、中山のこんな姿だという。 「ある時、難病の子を持つ親が事務所に手紙を送ってきたことがありました。美穂がサイン色紙を送ってくれたら、闘病を頑張れるというものです。それを見て美穂はすぐに“頑張ってね”とメッセージ入りの色紙を送りました。間違いなく当時のトップアイドルでしたし、ファンを大切にする子だった。それにしても54歳……まだ早すぎますよ」 デイリー新潮編集部
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