阪神大震災 被災地の企業11社が備蓄食の詰め合わせBOX開発 おいしく食べて循環
「当事者だからこそわかること、できることがあります」
震災の7日後、「東日本大震災100円義援金」を立ち上げた。10年後、「もっとずっときっと基金」へと名称を変え、支援対象を岩手、宮城、福島の3県から日本全国へと広げた。
その後は復興支援にとどまらず「防災」「減災」にも取り組むようになり、防災グッズの企画、開発、販売も手がけるようになった。「お客さまとともに考え、行動する」スタイルが確立されていった。
能登半島地震から1年。矢崎氏は能登に伝えたいことがある。「神戸を見てほしい。絶対に戻る。良くなっていく。みんながそう思って行動すると、そうなるんです」
震災を経験してフェリシモは変わった。この30年で学んだものは数知れない。
「あの時、迷わずに来てよかったと思います」(安東義隆)